「ダム建設の時代は終わった」by米国内務省開拓局長官ウィリアム・ピアーズ
     嶋津 暉之

10年前の2006年7月の豪雨で鹿児島県・県北部の川内川流域で大変大きな浸水被害がありました。
この豪雨災害を振り返っての毎日新聞の連載記事1~5をお送りします。

◆鎮まれ川内川・県北部豪雨災害10年
 1 傷痕 被災商店の廃業続出 地域衰退に拍車 /鹿児島

(毎日新聞2016年7月28日 鹿児島版)
http://mainichi.jp/articles/20160728/ddl/k46/040/274000c

 10年前の県北部豪雨災害で大きな被害を受けたさつま町虎居地区。川内川沿いの商店街の虎居町交差点付近で約2・6メートルの高さまで浸水した。人々の中には、避難した2階まで水が来たため、アーケードの上からボートで救助された人もいた。

 商店街の各店舗は商品や設備が水につかり大きな打撃を受けた。町商工会によると、虎居地区で被災した133の事業者のうち、1年経過した2007年11月時点で営業再開できたのは120。10事業者が廃業した。再開には多額の設備投資を必要としたからとみられる。

 豪雨災害を契機にした廃業はさつま町に限らない。湧水町で薬店兼雑貨店を夫と営んでいた女性(73)は「もう年も年だから体力的にも(きつい)。大型店などができて売り上げが落ち、そろそろやめようかという矢先だった」と店を閉めた。後継者もいなかった。

 さつま町旭町にある杉元英三郎さん(56)の酒店も2階付近まで浸水した。買ったばかりの自家用車、配達用の業務車計4台のほか、冷蔵庫やパソコンなどの事務用品がだめになった。内装もやり直し、被害額は約4000万円に上った。

 「私の場合、まだ若いし、取引先や顧客の協力や励ましもあってやめる選択肢はなかった」。店は水害の約3カ月後に再開したが、その借金を返済したのは約2年前だ。

 だが「いったん再開したが、客が少なくなり閉めた店もある」(杉元さん)という。さつま町商工会の調査でも、07年12月?12年10月でさらに10事業者が廃業している。

 虎居地区の復興への過程を調査した徳田光弘・九州工業大准教授(当時は鹿児島大助教)の論文によると、商店街の商圏で被害が深刻だった虎居馬場は84世帯が07年11月時点で50世帯まで減少(自治会への聞き取り)。商店主らは住民減少による売り上げ減を強く問題視した。杉元さんも「地方の商店は周辺人口がないと生きていけない。うちはインターネットなどで県外客が多いのでやれた状態」と話す。

 国土交通省川内川河川事務所によると、被害が深刻だった虎居、屋地の2地区では、川内川の改修による築堤などで約50戸が移転したという。また、大きな被害を受けた7自治会の住民基本台帳登録者数は2666人(06年6月)から2360人(16年6月)に減少している。水害が原因かは不明で町全体の減少率より低いが、ここは町の中心市街地だ。

 さつま町に限らず被災地の多くは過疎高齢化地域だ。徳田准教授は「水害は住民減少と小規模商店の営業不振が相互作用し、地域衰退の負のスパイラルを加速させる。災害は既に進行している地域衰退を顕在化させるともいえる」と指摘する。

 杉元さんは「梅雨の時期が来るたびに、嫌な気持ちがする」と話す。心の復興もまだなのだ。

    ◇

 川内川流域に大きな傷痕を残した県北部豪雨災害から10年。治水対策が一段落した今、さらにどのような課題があるかを探った。【宝満志郎】

 ■ことば
県北部豪雨災害

 2006年7月19?23日の大雨で川内川流域3市2町(薩摩川内市、伊佐市、さつま町、湧水町、宮崎県えびの市)の約2777ヘクタールが浸水、2347戸に被害が出た。国は約1500戸の外水被害解消を目標に激甚災害対策特別緊急事業で11年度まで河川を改修。鶴田ダム(さつま町)の再開発も進められている。


◆2 想定外 流域で豪雨増加傾向 改修後の浸水拡大予測も /鹿児島
(毎日新聞2016年7月29日 鹿児島版)
http://mainichi.jp/articles/20160729/ddl/k46/040/335000c

 10年前の県北部豪雨災害では、7月19日から23日にかけての総降水量が川内川流域の観測所3カ所で1000ミリを超す記録的な豪雨となった。うち1観測所のその5日間の総雨量は全国平均の年総雨量の約70%というすさまじさだった。

 これに伴い、川内川の水位は上昇。15カ所の水位観測所のうち11カ所で観測史上最高を記録し、吉松(湧水町)など4カ所では、過去最高水位などを踏まえ堤防などを造る場合の基準となる計画高水位を超えた。

 大きな浸水被害が出たさつま町の宮之城での水位は、7月22日午後6時40分ごろ11・66メートルを記録した。これは、既往最高水位8・1メートル(1972年の水害時)、計画高水位8・74メートルをはるかに超えるものだった。

 同町轟町は川内川沿いの住宅地。昔から川とともに暮らし、そして水害に悩まされ続けていた。住民でさつま町郷土史研究会の三浦哲郎会長(86)は「72年の水害の時の水位が最高だと思っていた。水位がどんどん上がっていったが『これが山だ。もう水位は上がらないだろう』と思ってしまった」と想定外の状況を振り返る。

 三浦さんの自宅は、72年水害の時は浸水を免れたが、県北部豪雨災害では床上76センチの浸水被害に遭った。忘れないようにと、家の中にはその水位が示されている。

 最近、川内川流域の降水量は増加している。鶴田ダム(さつま町)の上流域の年間降水量は2005?14年の10年で平均2900ミリだが、直近の5年間(10?14年)は約3200ミリだ。

 しかも、将来にわたって降水量は増える可能性がある。鹿児島県全体の将来予測(14年)によると、将来(21世紀末)の年降水量は約330ミリ増加。また、1時間30ミリ以上の短時間強雨も増える予測だ。鹿児島地方気象台の服部紀文気象情報官は「地球温暖化も影響しているといわれるが、今後、このような雨の降り方は多くなるだろう」と指摘する。

 国土交通省川内川河川事務所は今年6月、川内川水系の洪水浸水想定区域図を公表した(同事務所のホームページに掲載)。今までのものは04年に100年に一度の大雨という計画降雨をもとに公表。今回は県北部豪雨災害後に河川改修された川内川で、九州北西部で観測されたデータをもとに想定される最大規模の降雨によるものだ。

 04年のもので川内川流域の浸水面積は約42平方キロだったが、今回は約53平方キロに広がった。流域自治体は、今後、新しい想定区域図で避難場所などを盛り込んだハザードマップを作成する。

 三浦さんたちは11年に、06年水害の浸水区域をもとに地域の洪水避難地図を作った。しかし、新しい想定区域図ではさらに浸水エリアが広がる。三浦さんは「こんなに広がるのか」と驚き、「こういうこともありうるというのは啓発せんといかん」と話す。備えは続いていく。【宝満志郎】
雨の強さと降り方

予報用語    1時間雨量(ミリ) 降り方のイメージや危険性

やや強い雨   10以上20未満  ザーザーと降る

強い雨     20以上30未満  いわゆる土砂降り。小規模の崖崩れが始まる

激しい雨    30以上50未満  バケツをひっくり返したような雨。山崩れなどが起きやすくなる。危険地帯では避難準備が必要

非常に激しい雨 50以上80未満  滝のように降る。土石流が起こりやすく多くの災害が発生する

猛烈な雨    80以上      息苦しくなるような圧迫感あり。大規模災害の発生するおそれが強い

 ※気象庁の基準を基に作成。降り始めからの総雨量や地形地質によって被害が異なり、あくまでも予想される目安。

 ※「強い雨」「激しい雨」以上が予想される場合は、「大雨注意報」「大雨警報」が発表される(地域によって異なる)。「猛烈な雨」を観測した場合、「記録的短時間大雨情報」(数年に一度の大雨)が発表される場合も。数十年に一度の大雨が予想される場合は「特別警報」が出される。


◆3 減災 増加する「災害外力」 河川施設では守りきれず /鹿児島
(毎日新聞2016年7月30日 鹿児島版)
http://mainichi.jp/articles/20160730/ddl/k46/040/387000c

 「自然災害は新しいステージに入った」。今年3月、さつま町で開かれた「鶴田ダムとともに水害に強い地域づくりを考える意見交換会」。川内川流域の住民代表らを前に、意見交換会の委員長を務める小松利光・九州大名誉教授は講演した。

 豪雨や台風などの「災害外力」(災害が起きる力)が気候温暖化などにより増加する一方、堤防などのインフラ整備などによる防災力は予算減少や老朽化、地域高齢化などで低下する??。小松名誉教授は「コスト、時間、環境面から、これ以上堤防に頼れない。ところが、今後、雨の降り方、台風は強くなる」と参加者に語りかけた。

 国土交通省の諮問機関・社会資本整備審議会も昨年の答申で「『施設の能力には限界があり、施設では防ぎきれない大洪水は必ず発生するもの』へと意識を変革し、社会全体で洪水氾濫に備える必要がある」と指摘した。いわば、インフラで完全に守る「防災」から、ある程度“許容”し人命第一に被害を減らす「減災」への流れだ。

 川内川が氾濫した2006年7月の県北部豪雨災害では、激甚災害対策特別緊急事業(激特事業)が約375億円で実施された。県北部豪雨災害と同程度の出水に対応できる河川改修が整ったという。しかし、堤防の整備率は約80%で、流域自治体や住民からさらなる整備を求める声は強い。

 川内川の激特事業ではさまざまな施設や工法が導入され、治水対策の“展示場”といった感がある。その中でも「輪中堤」は川内川では初めて導入された。集落を堤防で囲み、住家や人を守ろうという工法だ。しかし、堤防外の水田などは事実上浸水が許容される。

 さつま町の大願寺地区の集落でも輪中堤が造られた。高さ約6メートル、幅最大約50メートルの堤防が、長さ約1・3キロにわたりU字形に集落を囲み、国道とともに砦(とりで)のように高い壁で守っている。

 その輪中堤内に暮らす農業、下小園徳雄さん(79)らは、国交省と話し合った。「最初は川内川沿いに堤防を造ってくれと要望したのだが……」と仕方なく承諾したという。

 下小園さんの水田は輪中堤のため買収され、今持っている水田のうち堤外にあるものもある。「ここの田は一等田なんですよ。農家にとってそれを犠牲にするのはやっぱり抵抗がある」と話す。

 国交省川内川河川事務所の坂元浩二所長は「限られた予算や期間の中では、輪中堤の方が効果を早く出すことができる」と理解を求める。

 小松名誉教授が団長を務めた県北部豪雨災害の緊急調査団の報告書(07年度)は、川内川の治水対策について「氾濫許容型の治水対策が本格的に実施される我が国初の例として注目される」と指摘した。様変わりする治水に今後どう向き合っていくかが問われている。【宝満志郎】

 ■ことば
川内川激特事業の治水対策

 6カ年で、事業箇所の延長は約62キロ。多くの水を流せるようにする河道掘削約200万立方メートル▽堤防を造る築堤約16キロ▽輪中堤5カ所▽洪水時に多くの水を流しやすくするための分水路2カ所=推込(さつま町)と曽木の滝(伊佐市)▽敷地を高くする家屋かさ上げ1カ所▽橋りょう4カ所▽水門・樋門など27カ所。


◆4 共助自助 公助低下し増える役割 過疎高齢化で限界も /鹿児島

(毎日新聞2016年8月1日 鹿児島版)
http://mainichi.jp/articles/20160801/ddl/k46/040/213000c

 10年前の県北部豪雨災害で多くの浸水被害を出した湧水町の川添地区。熊本地震の発生も契機の一つとなり、水害10年を機に今年6月、全世帯約200戸に災害時の非常用持ち出しセットを独自に配った。

 区長の桑原佐年さん(68)は「自分たちのことは自分たちで守っていかんと。行政を頼ってもできる範囲は決まっている」と話す。2005年に合併した湧水町の職員は158人(06年4月)から138人(今年4月)に減っている。

 災害対応は、行政の「公助」、住民同士の「共助」、自らの「自助」の3本柱といわれる。流域住民代表らが参加した3月の意見交換会で、委員長の小松利光・九州大名誉教授は「自助と共助が90%」という見方を紹介し「地域住民が防災の主役にならざるをえない」と訴えた。

 国土交通省川内川河川事務所が呼びかけ3月、流域市町と一体となった「水防災意識社会再構築協議会」が設立。住民の避難や企業の防災対応を促すソフト対策を盛り込んだアクションプログラムに取り組んでいくという。

 一方、公共事業費の減少に伴い、国の治水事業費も減少している。砂防などを含む治水事業等関係費は、最近では1997年度の1兆3698億円をピークに、16年度は7953億円まで減った。川内川河川事務所が担当する激甚災害対策特別緊急事業も11年度に終わり、16年度河川改修費は対前年度比0・97%でマイナスになっている。坂元浩二所長は「マンパワー的にも、地域の方の応援協力は必要」と話す。

    ◇

 地域の防災力の核となるのが消防団だろう。湧水町消防団は県北部豪雨災害でも活躍した。浸水で逃げ遅れた約80人の住民をボートで救出したという。

 消防団員は、他に本業のある住民がボランティア精神に支えられ務めている。当時消防団長だった橋之口定さん(71)は「自分の家が水につかった団員も多かったのに頑張ってくれた」と振り返る。

 しかし、今は団員定数270人に対し、実際の団員数は260人。さつま町では定数自体を豪雨災害当時の542人から452人に減らした。団員確保は各地で共通の課題だ。

 このような中で期待されているのが自治会などを母体とした自主防災組織だ。6月に自主防災避難訓練を実施した薩摩川内市東郷町の斧渕地区は川内川の下流部にあり、全自治会で自主防災組織をつくっている。しかし、地区では65歳以上の高齢化率が45%を超える自治会もある。斧渕地区コミュニティ協議会の諏訪六雄会長(72)は今後、過疎高齢化が進み「高齢者が高齢者を避難させる時代に入っている。老老介護ならぬ老々救助」と不安視する。

 住民による防災力も、過疎高齢化で限界が見えつつある。【宝満志郎】

 ■ことば
自主防災組織

 災害対策基本法に定められ、防災訓練や災害時には住民の安否確認、救出作業を担う。1995年の阪神大震災で救出された生存者の8割が家族や住民らによるものだったことから、自助共助の重要性が注目された。一方、消防団は自営業者やサラリーマンら一般住民が務める非常勤の地方公務員(特別職)。


◆5 上下流 合併後、町一体性阻害を懸念 原因の堰改築 /鹿児島
(毎日新聞2016年8月2日 鹿児島版)
http://mainichi.jp/articles/20160802/ddl/k46/040/281000c

 本川の延長約137キロの川内川は、盆地やボトルネックのような狭い部分(狭窄(きょうさく)部)が連続している。狭窄部によって上流側は氾濫しやすく、下流に対して水をためる遊水地となってしまう。しかし、その狭窄部を広げると水が多く流れ、下流が氾濫しやすくなる。治水上の上下流問題が起きやすいといわれる。

 10年前の県北部豪雨災害で多くの浸水被害が出た湧水町。旧吉松町と旧栗野町が災害前の2005年に合併して誕生した。吉松と栗野の境付近の川内川に阿波井堰(あばいぜき)がある。日本窒素肥料(現JNC)が発電目的で1919(大正8)年に発電目的で設置。狭窄部に位置する固定堰だったため、上流側での浸水被害の原因といわれてきた。

 住民らは撤去を強く求めた。吉松郷土誌によると、67年には住民らが耕運機50台にプラカードをたて総決起デモを町内一円で実施したという。川添地区の桑原佐年区長は「ここは洪水の常襲地帯。堰の撤去は100年の悲願だった」と話す。

 県北部豪雨災害でも湧水町では569戸が床上床下浸水した。うち吉松は481戸で栗野よりも多かった。

 町などは堰の改築を国などに要望した。しかし、激甚災害対策特別緊急事業(激特事業、2006?11年度)から外された。米満重満町長はこの問題が合併間もない住民たちの一体感に水を差すと危機感を持った。「国は合併しろ合併しろと言っておきながら、一体性を阻害する最大の懸案をなぜ外すのか」

 河川の改修は、上流の方から実施すると下流への流量が増加するため、下流側を配慮して行う。国土交通省川内川河川事務所は「激特事業の短い期間では、上下流バランスの整理などができなかったのだろう」とし、下流で増える水を受け止める鶴田ダム(さつま町)の再開発事業などに合わせ検討したという。

 また、農業用の水利権もあった。堰の水は下流の水田の農業用水に使われている。さらに下流に流れる水量も増える。利水と上下流問題が絡まっていた。

 米満町長は下流側と交渉したという。「『うん、わかったよ。合併した町だからね。ただ、水田は水田のままにしてくれ』と承諾してくれた」と振り返る。環境が整い国は08年度から旧堰の約200メートル上流に、増水時にゲートを開け水を流す可動堰を建設する事業に着手。昨年8月に新・阿波井堰が完成し、旧堰は撤去された。

 3月、同河川事務所が呼びかけ、川内川流域5市町の首長懇談会が発足した。今後、流域の防災や地域活性化などを話し合っていく。懇談会の席上、米満町長は「川内川流域はみんな運命共同体」と呼びかけた。上下流一体での新たな取り組みが始まっていく。【宝満志郎】

 ■ことば
新・阿波(あば)井堰

 幅約23・1メートル、高さ2・6メートルの制水ゲートを2門持つ可動堰。事業費約30億円。この改築事業によって、県北部豪雨災害の湧水町中津川周辺の外水氾濫浸水被害370戸が解消されるという。


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 豪雨災害を契機にした廃業はさつま町に限らない。湧水町で薬店兼雑貨店を夫と営んでいた女性(73)は「もう年も年だから体力的にも(きつい)。大型店などができて売り上げが落ち、そろそろやめようかという矢先だった」と店を閉めた。後継者もいなかった。

 さつま町旭町にある杉元英三郎さん(56)の酒店も2階付近まで浸水した。買ったばかりの自家用車、配達用の業務車計4台のほか、冷蔵庫やパソコンなどの事務用品がだめになった。内装もやり直し、被害額は約4000万円に上った。

 「私の場合、まだ若いし、取引先や顧客の協力や励ましもあってやめる選択肢はなかった」。店は水害の約3カ月後に再開したが、その借金を返済したのは約2年前だ。

 だが「いったん再開したが、客が少なくなり閉めた店もある」(杉元さん)という。さつま町商工会の調査でも、07年12月?12年10月でさらに10事業者が廃業している。

 虎居地区の復興への過程を調査した徳田光弘・九州工業大准教授(当時は鹿児島大助教)の論文によると、商店街の商圏で被害が深刻だった虎居馬場は84世帯が07年11月時点で50世帯まで減少(自治会への聞き取り)。商店主らは住民減少による売り上げ減を強く問題視した。杉元さんも「地方の商店は周辺人口がないと生きていけない。うちはインターネットなどで県外客が多いのでやれた状態」と話す。

 国土交通省川内川河川事務所によると、被害が深刻だった虎居、屋地の2地区では、川内川の改修による築堤などで約50戸が移転したという。また、大きな被害を受けた7自治会の住民基本台帳登録者数は2666人(06年6月)から2360人(16年6月)に減少している。水害が原因かは不明で町全体の減少率より低いが、ここは町の中心市街地だ。

 さつま町に限らず被災地の多くは過疎高齢化地域だ。徳田准教授は「水害は住民減少と小規模商店の営業不振が相互作用し、地域衰退の負のスパイラルを加速させる。災害は既に進行している地域衰退を顕在化させるともいえる」と指摘する。

 杉元さんは「梅雨の時期が来るたびに、嫌な気持ちがする」と話す。心の復興もまだなのだ。

    ◇

 川内川流域に大きな傷痕を残した県北部豪雨災害から10年。治水対策が一段落した今、さらにどのような課題があるかを探った。【宝満志郎】

 ■ことば
県北部豪雨災害

 2006年7月19?23日の大雨で川内川流域3市2町(薩摩川内市、伊佐市、さつま町、湧水町、宮崎県えびの市)の約2777ヘクタールが浸水、2347戸に被害が出た。国は約1500戸の外水被害解消を目標に激甚災害対策特別緊急事業で11年度まで河川を改修。鶴田ダム(さつま町)の再開発も進められている。


◆2 想定外 流域で豪雨増加傾向 改修後の浸水拡大予測も /鹿児島
(毎日新聞2016年7月29日 鹿児島版)
http://mainichi.jp/articles/20160729/ddl/k46/040/335000c

 10年前の県北部豪雨災害では、7月19日から23日にかけての総降水量が川内川流域の観測所3カ所で1000ミリを超す記録的な豪雨となった。うち1観測所のその5日間の総雨量は全国平均の年総雨量の約70%というすさまじさだった。

 これに伴い、川内川の水位は上昇。15カ所の水位観測所のうち11カ所で観測史上最高を記録し、吉松(湧水町)など4カ所では、過去最高水位などを踏まえ堤防などを造る場合の基準となる計画高水位を超えた。

 大きな浸水被害が出たさつま町の宮之城での水位は、7月22日午後6時40分ごろ11・66メートルを記録した。これは、既往最高水位8・1メートル(1972年の水害時)、計画高水位8・74メートルをはるかに超えるものだった。

 同町轟町は川内川沿いの住宅地。昔から川とともに暮らし、そして水害に悩まされ続けていた。住民でさつま町郷土史研究会の三浦哲郎会長(86)は「72年の水害の時の水位が最高だと思っていた。水位がどんどん上がっていったが『これが山だ。もう水位は上がらないだろう』と思ってしまった」と想定外の状況を振り返る。

 三浦さんの自宅は、72年水害の時は浸水を免れたが、県北部豪雨災害では床上76センチの浸水被害に遭った。忘れないようにと、家の中にはその水位が示されている。

 最近、川内川流域の降水量は増加している。鶴田ダム(さつま町)の上流域の年間降水量は2005?14年の10年で平均2900ミリだが、直近の5年間(10?14年)は約3200ミリだ。

 しかも、将来にわたって降水量は増える可能性がある。鹿児島県全体の将来予測(14年)によると、将来(21世紀末)の年降水量は約330ミリ増加。また、1時間30ミリ以上の短時間強雨も増える予測だ。鹿児島地方気象台の服部紀文気象情報官は「地球温暖化も影響しているといわれるが、今後、このような雨の降り方は多くなるだろう」と指摘する。

 国土交通省川内川河川事務所は今年6月、川内川水系の洪水浸水想定区域図を公表した(同事務所のホームページに掲載)。今までのものは04年に100年に一度の大雨という計画降雨をもとに公表。今回は県北部豪雨災害後に河川改修された川内川で、九州北西部で観測されたデータをもとに想定される最大規模の降雨によるものだ。

 04年のもので川内川流域の浸水面積は約42平方キロだったが、今回は約53平方キロに広がった。流域自治体は、今後、新しい想定区域図で避難場所などを盛り込んだハザードマップを作成する。

 三浦さんたちは11年に、06年水害の浸水区域をもとに地域の洪水避難地図を作った。しかし、新しい想定区域図ではさらに浸水エリアが広がる。三浦さんは「こんなに広がるのか」と驚き、「こういうこともありうるというのは啓発せんといかん」と話す。備えは続いていく。【宝満志郎】
雨の強さと降り方

予報用語    1時間雨量(ミリ) 降り方のイメージや危険性

やや強い雨   10以上20未満  ザーザーと降る

強い雨     20以上30未満  いわゆる土砂降り。小規模の崖崩れが始まる

激しい雨    30以上50未満  バケツをひっくり返したような雨。山崩れなどが起きやすくなる。危険地帯では避難準備が必要

非常に激しい雨 50以上80未満  滝のように降る。土石流が起こりやすく多くの災害が発生する

猛烈な雨    80以上      息苦しくなるような圧迫感あり。大規模災害の発生するおそれが強い

 ※気象庁の基準を基に作成。降り始めからの総雨量や地形地質によって被害が異なり、あくまでも予想される目安。

 ※「強い雨」「激しい雨」以上が予想される場合は、「大雨注意報」「大雨警報」が発表される(地域によって異なる)。「猛烈な雨」を観測した場合、「記録的短時間大雨情報」(数年に一度の大雨)が発表される場合も。数十年に一度の大雨が予想される場合は「特別警報」が出される。


◆3 減災 増加する「災害外力」 河川施設では守りきれず /鹿児島
(毎日新聞2016年7月30日 鹿児島版)
http://mainichi.jp/articles/20160730/ddl/k46/040/387000c

 「自然災害は新しいステージに入った」。今年3月、さつま町で開かれた「鶴田ダムとともに水害に強い地域づくりを考える意見交換会」。川内川流域の住民代表らを前に、意見交換会の委員長を務める小松利光・九州大名誉教授は講演した。

 豪雨や台風などの「災害外力」(災害が起きる力)が気候温暖化などにより増加する一方、堤防などのインフラ整備などによる防災力は予算減少や老朽化、地域高齢化などで低下する??。小松名誉教授は「コスト、時間、環境面から、これ以上堤防に頼れない。ところが、今後、雨の降り方、台風は強くなる」と参加者に語りかけた。

 国土交通省の諮問機関・社会資本整備審議会も昨年の答申で「『施設の能力には限界があり、施設では防ぎきれない大洪水は必ず発生するもの』へと意識を変革し、社会全体で洪水氾濫に備える必要がある」と指摘した。いわば、インフラで完全に守る「防災」から、ある程度“許容”し人命第一に被害を減らす「減災」への流れだ。

 川内川が氾濫した2006年7月の県北部豪雨災害では、激甚災害対策特別緊急事業(激特事業)が約375億円で実施された。県北部豪雨災害と同程度の出水に対応できる河川改修が整ったという。しかし、堤防の整備率は約80%で、流域自治体や住民からさらなる整備を求める声は強い。

 川内川の激特事業ではさまざまな施設や工法が導入され、治水対策の“展示場”といった感がある。その中でも「輪中堤」は川内川では初めて導入された。集落を堤防で囲み、住家や人を守ろうという工法だ。しかし、堤防外の水田などは事実上浸水が許容される。

 さつま町の大願寺地区の集落でも輪中堤が造られた。高さ約6メートル、幅最大約50メートルの堤防が、長さ約1・3キロにわたりU字形に集落を囲み、国道とともに砦(とりで)のように高い壁で守っている。

 その輪中堤内に暮らす農業、下小園徳雄さん(79)らは、国交省と話し合った。「最初は川内川沿いに堤防を造ってくれと要望したのだが……」と仕方なく承諾したという。

 下小園さんの水田は輪中堤のため買収され、今持っている水田のうち堤外にあるものもある。「ここの田は一等田なんですよ。農家にとってそれを犠牲にするのはやっぱり抵抗がある」と話す。

 国交省川内川河川事務所の坂元浩二所長は「限られた予算や期間の中では、輪中堤の方が効果を早く出すことができる」と理解を求める。

 小松名誉教授が団長を務めた県北部豪雨災害の緊急調査団の報告書(07年度)は、川内川の治水対策について「氾濫許容型の治水対策が本格的に実施される我が国初の例として注目される」と指摘した。様変わりする治水に今後どう向き合っていくかが問われている。【宝満志郎】

 ■ことば
川内川激特事業の治水対策

 6カ年で、事業箇所の延長は約62キロ。多くの水を流せるようにする河道掘削約200万立方メートル▽堤防を造る築堤約16キロ▽輪中堤5カ所▽洪水時に多くの水を流しやすくするための分水路2カ所=推込(さつま町)と曽木の滝(伊佐市)▽敷地を高くする家屋かさ上げ1カ所▽橋りょう4カ所▽水門・樋門など27カ所。


◆4 共助自助 公助低下し増える役割 過疎高齢化で限界も /鹿児島

(毎日新聞2016年8月1日 鹿児島版)
http://mainichi.jp/articles/20160801/ddl/k46/040/213000c

 10年前の県北部豪雨災害で多くの浸水被害を出した湧水町の川添地区。熊本地震の発生も契機の一つとなり、水害10年を機に今年6月、全世帯約200戸に災害時の非常用持ち出しセットを独自に配った。

 区長の桑原佐年さん(68)は「自分たちのことは自分たちで守っていかんと。行政を頼ってもできる範囲は決まっている」と話す。2005年に合併した湧水町の職員は158人(06年4月)から138人(今年4月)に減っている。

 災害対応は、行政の「公助」、住民同士の「共助」、自らの「自助」の3本柱といわれる。流域住民代表らが参加した3月の意見交換会で、委員長の小松利光・九州大名誉教授は「自助と共助が90%」という見方を紹介し「地域住民が防災の主役にならざるをえない」と訴えた。

 国土交通省川内川河川事務所が呼びかけ3月、流域市町と一体となった「水防災意識社会再構築協議会」が設立。住民の避難や企業の防災対応を促すソフト対策を盛り込んだアクションプログラムに取り組んでいくという。

 一方、公共事業費の減少に伴い、国の治水事業費も減少している。砂防などを含む治水事業等関係費は、最近では1997年度の1兆3698億円をピークに、16年度は7953億円まで減った。川内川河川事務所が担当する激甚災害対策特別緊急事業も11年度に終わり、16年度河川改修費は対前年度比0・97%でマイナスになっている。坂元浩二所長は「マンパワー的にも、地域の方の応援協力は必要」と話す。

    ◇

 地域の防災力の核となるのが消防団だろう。湧水町消防団は県北部豪雨災害でも活躍した。浸水で逃げ遅れた約80人の住民をボートで救出したという。

 消防団員は、他に本業のある住民がボランティア精神に支えられ務めている。当時消防団長だった橋之口定さん(71)は「自分の家が水につかった団員も多かったのに頑張ってくれた」と振り返る。

 しかし、今は団員定数270人に対し、実際の団員数は260人。さつま町では定数自体を豪雨災害当時の542人から452人に減らした。団員確保は各地で共通の課題だ。

 このような中で期待されているのが自治会などを母体とした自主防災組織だ。6月に自主防災避難訓練を実施した薩摩川内市東郷町の斧渕地区は川内川の下流部にあり、全自治会で自主防災組織をつくっている。しかし、地区では65歳以上の高齢化率が45%を超える自治会もある。斧渕地区コミュニティ協議会の諏訪六雄会長(72)は今後、過疎高齢化が進み「高齢者が高齢者を避難させる時代に入っている。老老介護ならぬ老々救助」と不安視する。

 住民による防災力も、過疎高齢化で限界が見えつつある。【宝満志郎】

 ■ことば
自主防災組織

 災害対策基本法に定められ、防災訓練や災害時には住民の安否確認、救出作業を担う。1995年の阪神大震災で救出された生存者の8割が家族や住民らによるものだったことから、自助共助の重要性が注目された。一方、消防団は自営業者やサラリーマンら一般住民が務める非常勤の地方公務員(特別職)。


◆5 上下流 合併後、町一体性阻害を懸念 原因の堰改築 /鹿児島
(毎日新聞2016年8月2日 鹿児島版)
http://mainichi.jp/articles/20160802/ddl/k46/040/281000c

 本川の延長約137キロの川内川は、盆地やボトルネックのような狭い部分(狭窄(きょうさく)部)が連続している。狭窄部によって上流側は氾濫しやすく、下流に対して水をためる遊水地となってしまう。しかし、その狭窄部を広げると水が多く流れ、下流が氾濫しやすくなる。治水上の上下流問題が起きやすいといわれる。

 10年前の県北部豪雨災害で多くの浸水被害が出た湧水町。旧吉松町と旧栗野町が災害前の2005年に合併して誕生した。吉松と栗野の境付近の川内川に阿波井堰(あばいぜき)がある。日本窒素肥料(現JNC)が発電目的で1919(大正8)年に発電目的で設置。狭窄部に位置する固定堰だったため、上流側での浸水被害の原因といわれてきた。

 住民らは撤去を強く求めた。吉松郷土誌によると、67年には住民らが耕運機50台にプラカードをたて総決起デモを町内一円で実施したという。川添地区の桑原佐年区長は「ここは洪水の常襲地帯。堰の撤去は100年の悲願だった」と話す。

 県北部豪雨災害でも湧水町では569戸が床上床下浸水した。うち吉松は481戸で栗野よりも多かった。

 町などは堰の改築を国などに要望した。しかし、激甚災害対策特別緊急事業(激特事業、2006?11年度)から外された。米満重満町長はこの問題が合併間もない住民たちの一体感に水を差すと危機感を持った。「国は合併しろ合併しろと言っておきながら、一体性を阻害する最大の懸案をなぜ外すのか」

 河川の改修は、上流の方から実施すると下流への流量が増加するため、下流側を配慮して行う。国土交通省川内川河川事務所は「激特事業の短い期間では、上下流バランスの整理などができなかったのだろう」とし、下流で増える水を受け止める鶴田ダム(さつま町)の再開発事業などに合わせ検討したという。

 また、農業用の水利権もあった。堰の水は下流の水田の農業用水に使われている。さらに下流に流れる水量も増える。利水と上下流問題が絡まっていた。

 米満町長は下流側と交渉したという。「『うん、わかったよ。合併した町だからね。ただ、水田は水田のままにしてくれ』と承諾してくれた」と振り返る。環境が整い国は08年度から旧堰の約200メートル上流に、増水時にゲートを開け水を流す可動堰を建設する事業に着手。昨年8月に新・阿波井堰が完成し、旧堰は撤去された。

 3月、同河川事務所が呼びかけ、川内川流域5市町の首長懇談会が発足した。今後、流域の防災や地域活性化などを話し合っていく。懇談会の席上、米満町長は「川内川流域はみんな運命共同体」と呼びかけた。上下流一体での新たな取り組みが始まっていく。【宝満志郎】

 ■ことば
新・阿波(あば)井堰

 幅約23・1メートル、高さ2・6メートルの制水ゲートを2門持つ可動堰。事業費約30億円。この改築事業によって、県北部豪雨災害の湧水町中津川周辺の外水氾濫浸水被害370戸が解消されるという。

【2016/08/06 00:53】 | 新聞記事から
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