「ダム建設の時代は終わった」by米国内務省開拓局長官ウィリアム・ピアーズ
原発推進のCMを作っていた売れっ子のCMプランナーが、東日本大震災の原発事故のあと、仕事ながら促進の立場で関与したことを強く後悔します。
そして、ボランティアの過程で被災地の問題が日本全体の社会問題でもあることに気づき、「信じられる企業」「信じられる社会活動」をより多くの人に伝えることに、クリエイター人生の全てを費やすことにしました。
その山田栄治監督が取り組んでいるのが、長崎県の石木ダム予定地にすむ住民たちの映画です。

文末にこの映画のためのクラウドファンディングのお知らせがあります。
1,000,000円出した方もお一人いらっしゃいますが、1,000円から協力していただけます。
よろしければご協力ください。

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大手広告会社に勤務するかたわら、山田英治さん(46)はサラリーマン映画監督としても活躍しています。
俳優の大森南朋さん(44)を起用した映画「鍵がない」などフィクションの世界を撮ってきましたが、現在は初のドキュメンタリー映画の制作に取り組んでいます。
舞台は、長崎県の片田舎にある「ダムに沈むかもしれない里山」。
売れっ子CMプランナーがなぜ? 
震災前に手がけた原発広告への後悔。
タレントを使ったCMから手を引いた決断。
8月1日の「水の日」にあわせて、 新作への思いを聞きました。
(朝日新聞経済部記者・高野真吾)

原発推進に「加担」した過去

 山田監督は、1993年に大手広告会社に入社。コピーライターからCMプランナーへと活動の幅を広げていくと、15秒という限られた時間から飛び出したくなりました。2000年からの1年間、会社を休職して映画を撮りまくりました。05年には俳優の大森南朋さんらと組み、東京・下北沢を舞台に繰り広げられる恋愛模様を描いた映画「鍵がない」が劇場公開されました。
 本業に復帰していた03年夏。電力会社がトラブルを起こして原発の運転が止まったことから、節電を幅広く呼びかけるキャンペーン広告を担当することになりました。

 「原発はCO2(二酸化炭素)を出さないエコなエネルギーだとすり込まれていた。心置きなく正義だと思って、企画に邁進した」

 電力会社が原発を再稼働させるまでの手助けをし、間接的に原発促進に携わりました。

「細胞のレベルから生き方を改めよう」

 しかし、東日本大震災による原発事故が起きます。山田監督の両親は、ともに福島県出身。子どもの頃、夏休み、正月になると福島で過ごしました。自身は千葉県の出身ですが、福島こそが「心のふる里」でした。その一部に人が住めなくなりました。

 その原因をつくった原発に、仕事ながら促進の立場で関与したことを強く悔いました。また、震災復興団体のCMを個人としてボランティアで制作していく過程で、被災地の問題が日本全体の社会問題でもあることに気づきました。

 「細胞のレベルから生き方を改めよう」。今ある情報の中から選び取り、「信じられる企業」「信じられる社会活動」をより多くの人に伝えることに、クリエイター人生の全てを費やすことにしました。

 それまでは不動産、自動車関係など有名企業の商品広告の担当もしていましたが、新たに引き受けることをやめました。会社員としてのリスクのともなう決断でしたが、迷いはありませんでした。

 同時に社会的課題をクリエイティブで解決していくための、NPO法人「Better than today.」を12年に立ち上げました。今回のドキュメンタリー映画は、このNPO法人の代表の立場で撮っています。

反対派は「過激な人たち」なの?

 昨年5月上旬、山田監督は初めて舞台となる長崎県川棚町の川原地区を訪れます。

 同地区に流れる石木川をせき止めて石木ダムを造ろうという建設があがったのは、約半世紀前。事業主体は、長崎県と同町の隣にありテーマパークのハウステンボスが有名な佐世保市です。

 同市への水の供給と、石木川が流れ込む川棚川の洪水を防ぐことを建設目的に掲げています。今でも13世帯60人が暮らし、反対で団結していますが、行政は建設に向けた土地の強制収用などの手続きを進行中です。しかし、同県内外から必要性への疑問の声がわき、近年は積極的に反対住民を支える動きが目立ってきています。

 山田監督はその頃、ダム建設反対派を「ヘルメットをかぶった過激な人たち」という偏見の目で見ていたと言います。しかし、地元の青年やおばあちゃんと接するうち、「何か俺、間違っていたのかも」と感じ始めました。

1枚の写真に涙が止まらない

 決定的だったのは、1枚の写真を見せられ時でした。

 長崎県は1982年に機動隊を投入して強制測量を実施しました。住民らが一丸となって激しく抗議活動をした当時の写真に、メガホンを持って叫んでいる少年の姿が写っていました。気になって説明を求めると、今は4児の父親になっている松本好央さん(41)でした。なぜか涙が止まらなくなりました。

 今から振り返ると涙の理由は、その写真に「不条理」を強く感じたからでした。行政から自分が住む里山を守るために、大人顔負けの必死の形相で、少年までが声を上げて戦わなければいけない。小学5年と3年の男の子2人の父親でもあり、少年の叫びを強くリアルに感じました。

 ダム反対派という「恐ろしいイメージ」以外に、地区の暮らしの素晴らしさや家族の歴史を伝えることができたら、「少しでも石木ダムに関心を持ってくれる人が増えるんじゃないか」。帰りの飛行機の中で、ドキュメンタリー映画を制作する企画書を書きました。

「今回こそは、立ち位置を間違えたくない」

 「ほたるの川のまもりびと」(仮)は、昨年10月に撮影を始めました。カメラマンは13年に木村伊兵衛写真賞を取った写真家、百々新(どど・あらた)さん(42)。2人は最初、川原地区の住民たちを知るために、全世帯のポートレート写真を撮りました。完成に向けた撮影、編集はこれから佳境を迎えます。

 「原発の危険さには震災前は気づけなかったが、石木ダム問題は里山が沈む前に知ることができた。今回こそは、立ち位置を間違えたくない」と、山田監督は映画制作にのめり込んでいます。

「今回こそは、立ち位置を間違えたくない」

 「ほたるの川のまもりびと」(仮)は、昨年10月に撮影を始めました。カメラマンは13年に木村伊兵衛写真賞を取った写真家、百々新(どど・あらた)さん(42)。2人は最初、川原地区の住民たちを知るために、全世帯のポートレート写真を撮りました。完成に向けた撮影、編集はこれから佳境を迎えます。

 「原発の危険さには震災前は気づけなかったが、石木ダム問題は里山が沈む前に知ることができた。今回こそは、立ち位置を間違えたくない」と、山田監督は映画制作にのめり込んでいます。

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里山にダムはいる?いらない?故郷を守ってきた人々の暮らしを巡る映画を完成させたい
クラウドファンディング|A-port 朝日新聞社
https://a-port.asahi.com/projects/kobaru/


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 本業に復帰していた03年夏。電力会社がトラブルを起こして原発の運転が止まったことから、節電を幅広く呼びかけるキャンペーン広告を担当することになりました。

 「原発はCO2(二酸化炭素)を出さないエコなエネルギーだとすり込まれていた。心置きなく正義だと思って、企画に邁進した」

 電力会社が原発を再稼働させるまでの手助けをし、間接的に原発促進に携わりました。

「細胞のレベルから生き方を改めよう」

 しかし、東日本大震災による原発事故が起きます。山田監督の両親は、ともに福島県出身。子どもの頃、夏休み、正月になると福島で過ごしました。自身は千葉県の出身ですが、福島こそが「心のふる里」でした。その一部に人が住めなくなりました。

 その原因をつくった原発に、仕事ながら促進の立場で関与したことを強く悔いました。また、震災復興団体のCMを個人としてボランティアで制作していく過程で、被災地の問題が日本全体の社会問題でもあることに気づきました。

 「細胞のレベルから生き方を改めよう」。今ある情報の中から選び取り、「信じられる企業」「信じられる社会活動」をより多くの人に伝えることに、クリエイター人生の全てを費やすことにしました。

 それまでは不動産、自動車関係など有名企業の商品広告の担当もしていましたが、新たに引き受けることをやめました。会社員としてのリスクのともなう決断でしたが、迷いはありませんでした。

 同時に社会的課題をクリエイティブで解決していくための、NPO法人「Better than today.」を12年に立ち上げました。今回のドキュメンタリー映画は、このNPO法人の代表の立場で撮っています。

反対派は「過激な人たち」なの?

 昨年5月上旬、山田監督は初めて舞台となる長崎県川棚町の川原地区を訪れます。

 同地区に流れる石木川をせき止めて石木ダムを造ろうという建設があがったのは、約半世紀前。事業主体は、長崎県と同町の隣にありテーマパークのハウステンボスが有名な佐世保市です。

 同市への水の供給と、石木川が流れ込む川棚川の洪水を防ぐことを建設目的に掲げています。今でも13世帯60人が暮らし、反対で団結していますが、行政は建設に向けた土地の強制収用などの手続きを進行中です。しかし、同県内外から必要性への疑問の声がわき、近年は積極的に反対住民を支える動きが目立ってきています。

 山田監督はその頃、ダム建設反対派を「ヘルメットをかぶった過激な人たち」という偏見の目で見ていたと言います。しかし、地元の青年やおばあちゃんと接するうち、「何か俺、間違っていたのかも」と感じ始めました。

1枚の写真に涙が止まらない

 決定的だったのは、1枚の写真を見せられ時でした。

 長崎県は1982年に機動隊を投入して強制測量を実施しました。住民らが一丸となって激しく抗議活動をした当時の写真に、メガホンを持って叫んでいる少年の姿が写っていました。気になって説明を求めると、今は4児の父親になっている松本好央さん(41)でした。なぜか涙が止まらなくなりました。

 今から振り返ると涙の理由は、その写真に「不条理」を強く感じたからでした。行政から自分が住む里山を守るために、大人顔負けの必死の形相で、少年までが声を上げて戦わなければいけない。小学5年と3年の男の子2人の父親でもあり、少年の叫びを強くリアルに感じました。

 ダム反対派という「恐ろしいイメージ」以外に、地区の暮らしの素晴らしさや家族の歴史を伝えることができたら、「少しでも石木ダムに関心を持ってくれる人が増えるんじゃないか」。帰りの飛行機の中で、ドキュメンタリー映画を制作する企画書を書きました。

「今回こそは、立ち位置を間違えたくない」

 「ほたるの川のまもりびと」(仮)は、昨年10月に撮影を始めました。カメラマンは13年に木村伊兵衛写真賞を取った写真家、百々新(どど・あらた)さん(42)。2人は最初、川原地区の住民たちを知るために、全世帯のポートレート写真を撮りました。完成に向けた撮影、編集はこれから佳境を迎えます。

 「原発の危険さには震災前は気づけなかったが、石木ダム問題は里山が沈む前に知ることができた。今回こそは、立ち位置を間違えたくない」と、山田監督は映画制作にのめり込んでいます。

「今回こそは、立ち位置を間違えたくない」

 「ほたるの川のまもりびと」(仮)は、昨年10月に撮影を始めました。カメラマンは13年に木村伊兵衛写真賞を取った写真家、百々新(どど・あらた)さん(42)。2人は最初、川原地区の住民たちを知るために、全世帯のポートレート写真を撮りました。完成に向けた撮影、編集はこれから佳境を迎えます。

 「原発の危険さには震災前は気づけなかったが、石木ダム問題は里山が沈む前に知ることができた。今回こそは、立ち位置を間違えたくない」と、山田監督は映画制作にのめり込んでいます。

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里山にダムはいる?いらない?故郷を守ってきた人々の暮らしを巡る映画を完成させたい
クラウドファンディング|A-port 朝日新聞社
https://a-port.asahi.com/projects/kobaru/

【2016/08/04 00:51】 | 石木ダム
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