「ダム建設の時代は終わった」by米国内務省開拓局長官ウィリアム・ピアーズ
        嶋津 暉之

毎日新聞の福岡賢正記者が書いた川辺川ダム問題の記事をお知らせします。
国交大臣が川辺川ダムの中止を表明してから、7年近くになります。
しかし、いまだに川辺川ダムなしの河川整備計画は策定されておらず、川辺川ダム計画は法的には生き残っています。
河川官僚が水面下で川辺川ダム計画の復活を画策しているように思います。

<川辺川ダム>計画から50年 中止も法的手続きされず
(毎日新聞2016年 7月3日(日)19時14分配信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160703-00000042-mai-soci

 国が球磨川の支流・川辺川に巨大なダムを建設する計画を発表してから、3日で50年になる。紆余(うよ)曲折の末に本体着工寸前まで進んだが、ダムの「受益地」とされる下流域住民らの反対運動で中止に追い込まれ、現在に至っている。

ただ計画中止の法的な手続きはいまだされておらず、計画が息を吹き返す可能性をはらんだ状態が続いている。【福岡賢正】

 国が川辺川ダム建設計画を発表したのは、集中豪雨で球磨川が氾濫し、人吉市などで戦後最大の被害が出た1965年水害から1年後の66年7月3日。村の中心部が水没予定地になった五木村は翌年、ダム容認派の村長が誕生するなど早い段階で条件闘争にかじを切った。
木炭需要の激減などで山の生活が厳しさを増し、多くの村民が公共事業に活路を求めたからだ。

 反発する山林地主らは「五木村水没者地権者協議会」を作り76年、計画取り消しを求めて提訴したが、それ以外の村民は81年に国の補償基準を受け入れ、雪崩のような離村が始まる。村消滅の危機を感じた地主らも84年に国と和解し、五木村の闘争は終わった。

 一方、下流域で反対運動が始まったのはその8年後。ダムによる環境破壊を懸念する住民と川漁師らが中心になった。ダムから田畑に水を引く国営川辺川利水事業に疑問を抱く農家も加わった。

球磨川漁協は01年、国が示した補償案を2度否決。国は漁業権を強制収用するための裁決申請に踏み切った。

 またこの年、流域最大の人口を擁する八代市で既に十分な流下能力があることを、住民団体が国側のデータを使って論証。驚いた知事の提案で、国と反対派が公開の場で議論する画期的な住民討論集会が始まった。

 利水訴訟は03年、控訴審の福岡高裁で農家側が逆転勝訴。国は上告できず、利水計画が消滅した。これによって国はダム計画を変更せざるを得なくなり、漁業権の収用申請取り下げに追い込まれた。

 この間、住民討論集会を重ねるごとにダム反対の世論が強まった。08年には相良村長、人吉市長、知事が相次いでダム反対を表明。翌年、国交相が計画の中止を表明した。

ただ、ダムを前提として07年に策定された球磨川水系河川整備基本方針は今も変更されていない。その後、国と県、市町村がダム以外の治水策を検討しているが、結論は出ていない。

 今本博健・京都大学名誉教授(河川工学)は「川辺川の運動が画期的だったのは、受益者が反対したこと。国はその意味が理解できなかったのだと思う。防御する洪水の規模を決めて治水する今の方法ではどうしてもダムが有利になるが、想定を超えたら、対応できない。どんな洪水が来ても被害を最小に抑える治水の考え方に転換すべきだ」と話す。



追記を閉じる▲
木炭需要の激減などで山の生活が厳しさを増し、多くの村民が公共事業に活路を求めたからだ。

 反発する山林地主らは「五木村水没者地権者協議会」を作り76年、計画取り消しを求めて提訴したが、それ以外の村民は81年に国の補償基準を受け入れ、雪崩のような離村が始まる。村消滅の危機を感じた地主らも84年に国と和解し、五木村の闘争は終わった。

 一方、下流域で反対運動が始まったのはその8年後。ダムによる環境破壊を懸念する住民と川漁師らが中心になった。ダムから田畑に水を引く国営川辺川利水事業に疑問を抱く農家も加わった。

球磨川漁協は01年、国が示した補償案を2度否決。国は漁業権を強制収用するための裁決申請に踏み切った。

 またこの年、流域最大の人口を擁する八代市で既に十分な流下能力があることを、住民団体が国側のデータを使って論証。驚いた知事の提案で、国と反対派が公開の場で議論する画期的な住民討論集会が始まった。

 利水訴訟は03年、控訴審の福岡高裁で農家側が逆転勝訴。国は上告できず、利水計画が消滅した。これによって国はダム計画を変更せざるを得なくなり、漁業権の収用申請取り下げに追い込まれた。

 この間、住民討論集会を重ねるごとにダム反対の世論が強まった。08年には相良村長、人吉市長、知事が相次いでダム反対を表明。翌年、国交相が計画の中止を表明した。

ただ、ダムを前提として07年に策定された球磨川水系河川整備基本方針は今も変更されていない。その後、国と県、市町村がダム以外の治水策を検討しているが、結論は出ていない。

 今本博健・京都大学名誉教授(河川工学)は「川辺川の運動が画期的だったのは、受益者が反対したこと。国はその意味が理解できなかったのだと思う。防御する洪水の規模を決めて治水する今の方法ではどうしてもダムが有利になるが、想定を超えたら、対応できない。どんな洪水が来ても被害を最小に抑える治水の考え方に転換すべきだ」と話す。


【2016/07/04 20:16】 | 各地のダム情報
トラックバック(0) |
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック