「ダム建設の時代は終わった」by米国内務省開拓局長官ウィリアム・ピアーズ
               嶋津 暉之

鬼怒川水害について災害弱者の視点からの記事をお送りします。

◆<取材ノートいばらき2015> 鬼怒川決壊 災害弱者に冷たい行政
(東京新聞茨城版2015年12月28日)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/list/201512/CK2015122802000164.html

 九月十日、常総市を流れる鬼怒川の堤防が決壊した。浸水面積は推定で約四十平方キロに及び、住宅五千棟以上が全半壊した。決壊当日の朝から三カ月以上、取材を続けてきた。被災しながらもお互いを気遣う人々の温かさに触れる一方で、本当の災害弱者にまで思いが至らない行政に冷たさを感じた。心に残った言葉から、この大災害を振り返る。

 九月十日の夕方、避難所になった地域交流センターで、本石下の高橋三枝子さん(66)が市職員に訴えていた。「隣に住む五十代の夫婦が、電話で『助けて、助けて』と何度も言ってくる」。平屋の事務所に取り残された夫婦は、初めテーブルの上に立って浸水を避けていたが、水かさが増してきて、今はテーブルの上にソファを置いて、その上にいるという。

 しばらくして高橋さんの携帯電話が鳴った。「救助されたそうです」と言って、高橋さんは安堵(あんど)の表情を浮かべた。今回の水害では、足が不自由で逃げられないお年寄りを地元の消防団員が背負って避難させたり、住民が早朝、隣家に声を掛けてもらって避難したりと、地域住民が助け合って困難に立ち向かった。

 市内では二人の尊い命が失われた。それでも隣接するつくば市の防災担当者は「常総市は、どこに誰が住んでいるのか分かっている農村集落。住民が助け合ったことで、誰にも気づかれず、ベッドの上に取り残された犠牲者が一人もいなかったことは評価に値する」と話す。
 一方で、行政の対応は対照的だった。常総市の人口の6%に当たる約四千人が外国人で、その大半はブラジル人だ。しかし水害発生当日、市が防災行政無線で避難を呼び掛けたのは、日本語でのみだった。相野谷町に住む日系ブラジル人三世の柴田キヨシさん(35)は「何を言っているのか分からなかった。税金を納めているのに、同じ人間じゃないのか」と悔しさをにじませる。

 外国人への対応だけでなく、ペットを連れて避難している被災者にも行政は冷たかった。県と市は九月下旬から、避難者に公的住宅を提供し始めたが、公的住宅でペットを飼うことは禁じられていた。

 十一月中旬、動物愛護団体の要望を受けた関東財務局が、ペットが飼える旧国家公務員宿舎(つくば市)を提供することを即決。「ペットに関して県からの問い合わせはなかった。ペットが飼える住宅があることは県も知っていたはず。担当者が変わってしまったからなのか」と対応の遅れを残念がった。

 足が不自由で、ほかの人たちに迷惑をかけたくないと避難を拒み、自宅二階で二晩をすごした中山町の和田秋夫さん(54)。ヘリコプターで救助された後、「鬼怒川は大丈夫だろうと油断していた。今回の災害は国と県と市、そして自分にも少しずつ責任がある」と後悔を口にした。

 市内を流れる八間堀(はちけんぼり)川があふれ、自宅が大規模半壊した水海道淵頭町の並木千鶴子さん(73)は「これからは川の管理は人任せにしない」と誓いを新たにする。

 公的住宅に避難したり、親戚の家に身を寄せたり、壊れた自宅で不便な生活を強いられたり、被災者の不自由な日々は今も続いている。生活の再建や防災対策などがどう進んでいくのか、来年もしっかり取材を続けていく。 (増井のぞみ)


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 市内では二人の尊い命が失われた。それでも隣接するつくば市の防災担当者は「常総市は、どこに誰が住んでいるのか分かっている農村集落。住民が助け合ったことで、誰にも気づかれず、ベッドの上に取り残された犠牲者が一人もいなかったことは評価に値する」と話す。
 一方で、行政の対応は対照的だった。常総市の人口の6%に当たる約四千人が外国人で、その大半はブラジル人だ。しかし水害発生当日、市が防災行政無線で避難を呼び掛けたのは、日本語でのみだった。相野谷町に住む日系ブラジル人三世の柴田キヨシさん(35)は「何を言っているのか分からなかった。税金を納めているのに、同じ人間じゃないのか」と悔しさをにじませる。

 外国人への対応だけでなく、ペットを連れて避難している被災者にも行政は冷たかった。県と市は九月下旬から、避難者に公的住宅を提供し始めたが、公的住宅でペットを飼うことは禁じられていた。

 十一月中旬、動物愛護団体の要望を受けた関東財務局が、ペットが飼える旧国家公務員宿舎(つくば市)を提供することを即決。「ペットに関して県からの問い合わせはなかった。ペットが飼える住宅があることは県も知っていたはず。担当者が変わってしまったからなのか」と対応の遅れを残念がった。

 足が不自由で、ほかの人たちに迷惑をかけたくないと避難を拒み、自宅二階で二晩をすごした中山町の和田秋夫さん(54)。ヘリコプターで救助された後、「鬼怒川は大丈夫だろうと油断していた。今回の災害は国と県と市、そして自分にも少しずつ責任がある」と後悔を口にした。

 市内を流れる八間堀(はちけんぼり)川があふれ、自宅が大規模半壊した水海道淵頭町の並木千鶴子さん(73)は「これからは川の管理は人任せにしない」と誓いを新たにする。

 公的住宅に避難したり、親戚の家に身を寄せたり、壊れた自宅で不便な生活を強いられたり、被災者の不自由な日々は今も続いている。生活の再建や防災対策などがどう進んでいくのか、来年もしっかり取材を続けていく。 (増井のぞみ)

【2015/12/29 02:50】 | 新聞記事から
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