「ダム建設の時代は終わった」by米国内務省開拓局長官ウィリアム・ピアーズ
              嶋津 暉之

鬼怒川水害の要因の一つとなった八間堀川の氾濫についての記事です。

◆<2015いばらき取材ノート> 八間堀川の氾濫 行政の対応後手に
(東京新聞茨城版 2015年12月25日)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/list/201512/CK2015122502000166.html?ref=rank

 九月十日、関東・東北水害に見舞われた常総市では、鬼怒川だけでなく市内を流れる八間堀(はちけんぼり)川も氾濫した。しかし八間堀川周辺の被害は、鬼怒川の氾濫の陰で、あまり取り上げられてこなかった。三カ月後の今、住民は「これは人災。二度と同じことを起こさないでほしい」と再発防止を訴える。

 八間堀川は下妻市から常総市にかけて流れる県管理の河川で、同市南部で分岐して鬼怒川と小貝川に注いでいる。今回の水害で南部の水田地帯三カ所の堤防が決壊した。県は、あふれた水が堤防を削ったと推測しているが、その時間帯は今も不明だ。このほか八間堀川周辺の市街地では、鬼怒川の決壊とは無縁の浸水被害がいくつも発生している。
 つくば市内で避難生活を送る水海道橋本町の松崎広子さん(75)は「テレビで鬼怒川の決壊を見ていた午後一時半ごろ、自宅前も水があふれていた」と証言する。当時は近くの鬼怒川が堤防すれすれまで増水し、八間堀川から鬼怒川へのポンプによる排水が中断されたころ。行き場を失った八間堀川の水が、市街地とつながる排水路から逆流して路上に噴き出たらしい。

 排水路は開閉式だが、長年にわたり開いたままで、管理者も曖昧だった。逆流して数時間後、住民と市職員によってようやく排水路を閉じることができたが、浸水地域の住民は車で避難できず、夜には鬼怒川からの洪水にも襲われた。自宅を取り壊すことが決まった松崎さんは「行政が八間堀川をきちんと管理していれば、逆流は防げたはず」と悔しがる。

 ただ、実質的な川の管理責任は複雑だ。川そのものは県の管理だが、鬼怒川、小貝川との合流地点は国の管轄。このうち小貝川側の水門開閉は常総市が受け持ち、水門に隣接する小型の排水ポンプは地元の江連八間(えづれはちけん)土地改良区の所有だ。川が分岐するポイントにも水門があり、県が土地改良区に開閉操作を任せているが、この水害で開閉することはなかった。

 それぞれの管理者は当時、個々に集めた範囲の情報で対応していたものの、八間堀川を一体的にコントロールする仕組みはなく、住民にも正確な状況は伝わっていなかった。今月中旬、決壊現場などを視察した常総市議団の一人は県に改善を求めた。「分業化していてはまずい。緊急時に連携できなくては」 (妹尾聡太)

      ◇

 九月、鬼怒川が決壊した関東・東北水害で、常総市内だけで五千棟以上の住宅が全半壊した。取材ノートは、住民たちの恐怖、嘆き、悲しみ、怒りで、たちまちいっぱいになった。未曾有の災害に記者も身を震わせた二〇一五年が、静かに過ぎようとしている。ノートを繰りながら、水害をはじめ記憶に刻まれた出来事を振り返る。


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 つくば市内で避難生活を送る水海道橋本町の松崎広子さん(75)は「テレビで鬼怒川の決壊を見ていた午後一時半ごろ、自宅前も水があふれていた」と証言する。当時は近くの鬼怒川が堤防すれすれまで増水し、八間堀川から鬼怒川へのポンプによる排水が中断されたころ。行き場を失った八間堀川の水が、市街地とつながる排水路から逆流して路上に噴き出たらしい。

 排水路は開閉式だが、長年にわたり開いたままで、管理者も曖昧だった。逆流して数時間後、住民と市職員によってようやく排水路を閉じることができたが、浸水地域の住民は車で避難できず、夜には鬼怒川からの洪水にも襲われた。自宅を取り壊すことが決まった松崎さんは「行政が八間堀川をきちんと管理していれば、逆流は防げたはず」と悔しがる。

 ただ、実質的な川の管理責任は複雑だ。川そのものは県の管理だが、鬼怒川、小貝川との合流地点は国の管轄。このうち小貝川側の水門開閉は常総市が受け持ち、水門に隣接する小型の排水ポンプは地元の江連八間(えづれはちけん)土地改良区の所有だ。川が分岐するポイントにも水門があり、県が土地改良区に開閉操作を任せているが、この水害で開閉することはなかった。

 それぞれの管理者は当時、個々に集めた範囲の情報で対応していたものの、八間堀川を一体的にコントロールする仕組みはなく、住民にも正確な状況は伝わっていなかった。今月中旬、決壊現場などを視察した常総市議団の一人は県に改善を求めた。「分業化していてはまずい。緊急時に連携できなくては」 (妹尾聡太)

      ◇

 九月、鬼怒川が決壊した関東・東北水害で、常総市内だけで五千棟以上の住宅が全半壊した。取材ノートは、住民たちの恐怖、嘆き、悲しみ、怒りで、たちまちいっぱいになった。未曾有の災害に記者も身を震わせた二〇一五年が、静かに過ぎようとしている。ノートを繰りながら、水害をはじめ記憶に刻まれた出来事を振り返る。

【2015/12/27 11:18】 | 新聞記事から
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