「ダム建設の時代は終わった」by米国内務省開拓局長官ウィリアム・ピアーズ
          嶋津 暉之

石牟礼道子さんの『ここすぎて 水の径』 の書評をご紹介します。
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四十七編のエッセイ集ですが、そのうちの「「石の中の蓮」では、「ダム建設のために水没した村の跡を、三十余年後に水が引けた後に訪れ、「人間は大きな、犯してはならない罪を犯しつつあるのではないか」との思いに駆られた。」と記されているとのことです。

◇評・若松英輔(批評家) 『ここすぎて 水の径』 石牟礼道子著
(読売新聞2015年11月30日) 
http://www.yomiuri.co.jp/life/book/review/20151124-OYT8T50183.html

永遠と交感する文章

 この本には、一九九三年から二〇〇一年までに書かれた四十七編のエッセイが収められている。初出から二十余年の歳月が経過していることを見て、古いと思うのは早計だ。

 新しい発言に、必要な言葉があるとは限らない。むしろ、古くならないばかりか、時間の経過によって、確固たるものである事実が、露あらわになるということがある。本書は、そうした稀有けうな著作の典型だ。

 二〇〇〇年に書かれた「風の神さま」と題する文章で作者は、自身も暮らす、九州を襲った台風に言及しながら、鹿児島県川内にある原発がはらむ危険性を語る。一九九六年に野草をめぐって記された「草摘み」では、スーパーマーケットに並ぶ外国産の野菜を眺めつつ、食と生命の事柄が流行の問題にすり替わっていることに警鐘を鳴らす。私たちは今、TPPの是非を考えるときにも同質のことに直面しているのではないか。さらにニューヨークで起こった9・11にふれて書かれた「魂の灯りをつないで」を読む。先日、世界を震撼しんかんさせたパリでの惨劇の底を流れるものを思わずにはいられない。

 本書には作者の『全集』未収の作品七編も含まれている。その一つ「石の中の蓮」では、ダム建設のために水没した村の跡を、三十余年後に水が引けた後に訪れ、「人間は大きな、犯してはならない罪を犯しつつあるのではないか」との思いに駆られたと記す。

 作者の眼めは、いつも三つのものから離れない。万物のいのち、それを生かす大いなるものの働き、そして時間とは別な、過ぎゆくことのない永遠と呼ぶべき時空との交感である。それを無視して生きることを彼女は「罪」と呼ぶ。

 この本は単に、時代の危機を告げる書ではない。人間が造った暗がりを見据えつつ、読者がその一方に見出みいだすのは、底知れない美である。言葉こそ、時代の闇を切り開く光であることを本書ははっきりと伝えてくれている。

 ◇いしむれ・みちこ=1927年、熊本県生まれ。水俣病の問題と向き合い、69年、『苦海浄土』を刊行。
 弦書房 2400円

【2015/12/01 01:28】 | 未分類
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