「ダム建設の時代は終わった」by米国内務省開拓局長官ウィリアム・ピアーズ
                 嶋津 暉之

鬼怒川水害について鬼怒川や被災地の歴史を調べた調査の中間報告会が11月13日に茨城大で開かれました。
鬼怒川は下流部で川幅が半減する特異な形状の河川ですが、これは江戸時代初期に太平洋に流れ込む本流だったものを土地を開削して流れを変更し、利根川と合流させたことによるものです。その下流部で今回の堤防の決壊・越水がありました。

◆県内の水害被災地 地盤沈下との関連調査へ 河川改修の影響も言及
(東京新聞茨城版 2015年11月14日)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/list/201511/CK2015111402000169.html

 常総市をはじめとする県内の水害被災地で、被害状況や復興への課題を多角的に調べている茨城大(本部・水戸市)の調査団は十三日、中間報告会を同大水戸キャンパスで開いた。八つの調査グループのうち地形や地質を調べているグループは、被害が深刻化した最大の要因を記録的な豪雨としつつ、地盤沈下や過去の河川改修が及ぼした影響を明らかにする必要性を指摘した。 (妹尾聡太)

 県のデータやグループの現地調査によると、軟らかい地層が堆積した常総市付近は地盤沈下が続き、この三十年で二十数センチ沈んだとみられている。各地域の地盤沈下の量が一定であれば支障が出ることは少ないが、沈下量にばらつきが生じると、鬼怒川や支流の堤防の高さは均一でなくなる。その結果、相対的に堤防が低くなったエリアで越水した可能性があるという。

 調査グループの村上哲准教授(工学)は「今後は常総市外にも対象を広げ、地盤沈下の状況を解析していく」とし、ほかの研究者と協力して重点的に調べる方針を示した。
 またグループは報告書で、江戸時代初期の河川改修の影響にも言及。かつて鬼怒川は太平洋に流れ込む本流だったが、一六二九年に新たに土地を開削して流れを変更し、利根川と合流させた。氾濫はこの開削した水路の上流で起きており、報告書では「狭い開削部がダムのように水をせき止めたことが、遠因になった可能性を詳細に検討するべきだ」とした。

 同市若宮戸で発生した鬼怒川の越水にも触れ、過去の開発が影響した可能性を示唆した。この地区に堤防はなく、川沿いの砂丘が自然堤防になっているが、村上准教授によると、一九〇七年ごろ最高約三十二メートルあった砂丘の標高は、九五年ごろには約十メートル低くなっていた。東京オリンピックや筑波研究学園都市の建設など、高度成長期に建設資材として砂が大量に採取されたとみられる。

◆茨城)地盤沈下など影響指摘 茨大調査団が中間報告
(朝日新聞茨城版2015年11月14日)
http://digital.asahi.com/articles/ASHCF4Q6SHCFUJHB00B.html?rm=377

 関東・東北豪雨の研究や被災者支援に取り組む茨城大学の調査団が13日、水戸市内で中間報告会を開いた。鬼怒川の氾濫(はんらん)の要因を調べる研究者は、近年の地盤沈下や江戸時代の開削事業が被害の拡大を招いた可能性を指摘した。

 調査団は水害発生直後の9月14日に結成され、避難行動、農業・生態系、住民ケア支援など8グループに分かれて活動している。

 土質工学や地形学の専門家らでつくるグループでは、堤防の決壊箇所を調査。決壊の周辺地域では1980年以降、東日本大震災などで地盤が20~30センチ沈下しており、村上哲・准教授(地盤工学)は「浸水域の広がりや堤防の機能低下に影響を与えた可能性がある」と話した。ほかにも、江戸時代初期に鬼怒川を小貝川から分離して利根川の方に流れを変え、合流地点前で川幅が著しく狭くなった開削事業が氾濫の背景にある可能性も指摘した。

 自然堤防の砂丘から水があふれて被害が広がった常総市の若宮戸地区については、明治時代末期より砂丘の最高地点が10メートルほど低くなっていたことが判明。高度経済成長期に砂が大量に採取したとされる影響を調べる必要性を指摘した。

 調査団は今年度末に最終報告書をまとめ、中長期的に被災地支援に取り組むことにしている。


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 またグループは報告書で、江戸時代初期の河川改修の影響にも言及。かつて鬼怒川は太平洋に流れ込む本流だったが、一六二九年に新たに土地を開削して流れを変更し、利根川と合流させた。氾濫はこの開削した水路の上流で起きており、報告書では「狭い開削部がダムのように水をせき止めたことが、遠因になった可能性を詳細に検討するべきだ」とした。

 同市若宮戸で発生した鬼怒川の越水にも触れ、過去の開発が影響した可能性を示唆した。この地区に堤防はなく、川沿いの砂丘が自然堤防になっているが、村上准教授によると、一九〇七年ごろ最高約三十二メートルあった砂丘の標高は、九五年ごろには約十メートル低くなっていた。東京オリンピックや筑波研究学園都市の建設など、高度成長期に建設資材として砂が大量に採取されたとみられる。

◆茨城)地盤沈下など影響指摘 茨大調査団が中間報告
(朝日新聞茨城版2015年11月14日)
http://digital.asahi.com/articles/ASHCF4Q6SHCFUJHB00B.html?rm=377

 関東・東北豪雨の研究や被災者支援に取り組む茨城大学の調査団が13日、水戸市内で中間報告会を開いた。鬼怒川の氾濫(はんらん)の要因を調べる研究者は、近年の地盤沈下や江戸時代の開削事業が被害の拡大を招いた可能性を指摘した。

 調査団は水害発生直後の9月14日に結成され、避難行動、農業・生態系、住民ケア支援など8グループに分かれて活動している。

 土質工学や地形学の専門家らでつくるグループでは、堤防の決壊箇所を調査。決壊の周辺地域では1980年以降、東日本大震災などで地盤が20~30センチ沈下しており、村上哲・准教授(地盤工学)は「浸水域の広がりや堤防の機能低下に影響を与えた可能性がある」と話した。ほかにも、江戸時代初期に鬼怒川を小貝川から分離して利根川の方に流れを変え、合流地点前で川幅が著しく狭くなった開削事業が氾濫の背景にある可能性も指摘した。

 自然堤防の砂丘から水があふれて被害が広がった常総市の若宮戸地区については、明治時代末期より砂丘の最高地点が10メートルほど低くなっていたことが判明。高度経済成長期に砂が大量に採取したとされる影響を調べる必要性を指摘した。

 調査団は今年度末に最終報告書をまとめ、中長期的に被災地支援に取り組むことにしている。

【2015/11/16 13:02】 | 新聞記事から
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