「ダム建設の時代は終わった」by米国内務省開拓局長官ウィリアム・ピアーズ
               嶋津 暉之

鬼怒川水害では堤防の決壊が、鬼怒川と小貝川を結ぶ「八間掘川」(常総市水海道地区)でも起きていました。
この問題を取り上げた詳しい報告です。

◆「常総市大水害から1ケ月」 積もる行政不信 「問題化されぬ浸水に至った理由」と「公的支援の遅れ」 
吉川彰浩 | 一般社団法人AFW 代表理事 
2015年10月10日 7時0分配信
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yoshikawaakihiro/20151010-00050292/


常総市大水害から、1ヶ月が経ちました。

鬼怒川越水及び決壊地域の様子はニュースでも大きく報じられてきましたが、甚大被害を被った地域を除けば、平時を思わせる風景に、水害の面影を伺うことが難しくなりました。平時を取り戻したように見える地域の、その後の顛末はそこで暮らす方々のみが知るところです。

実態は「茨城県常総市大水害」被害実態に見合わぬ制度 社会課題と言える大規模水害に対する生活再建の在り方でも報じた状況の中、公的支援が進まぬ状況にあります。

また、日々ニュースでも報じられる「鬼怒川決壊」という表現に、完全排水が水害後1週間にも及んだ、常総市水海道地区の方々からは、鬼怒川決壊だけが広域浸水に至った理由ではないのではないかと、疑問の声も上がっています。
遅れる公的支援の状況と、明らかにされぬままの浸水原因が相まって、行政不信の声は日に日に大きくなっています。

進まぬ公的支援

公的支援が進まぬ主だった理由は、未だに「り災証明書」が被災された方々に届かぬ事が原因です。

り災証明書の申請受付は9月14日から行われました。今回、適用された大規模災害時に使える「応急修理制度」の適用は、り災証明書が必要となります。応急修理の名の通り、最低限暮らせる状態への支援金です。り災証明書が届くまでは、修理を行えずただただ待つばかりの状況にあります。また、発送が遅れている事だけでなく、認定されたり災程度(半壊、大規模半壊)によって、公的支援額が大きく異なることから、程度の判定の在り方に現地では不満の声が噴出しています。「半壊」と「大規模半壊」の判定の分かれ目は、床上浸水1mを基準としています。実際、床上数十センチでも1mでも被害程度の差はほとんどありません。判定に意義がある場合は再調査を申し出る必要があります。遅れているばかりか、実情被害と合わぬ「半壊」と「大規模半壊」の判定の在り方は、行政への不信に繋がっています。

現在も避難所で生活する方々は400名(10月9日12時で444人)を超えます。公営住宅の提供も進んでいません。ペットを飼われている方が入居でき無いことも問題となっています。

水害から1ヶ月が経ち、生活再建に向けて「備えられている公的支援」を受けられない状況にあることは、被災された方々に問題はなく、行政側の対応の遅れと、柔軟さを欠く対応が問題であると言えます。

公的支援の遅れだけで、行政不信を唱える声が噴出した分けではありません。これから綴る「八間掘川」で起きた事象が、災害ではなく人災では?と常総市水海道地区で暮らす方々の間で、問題視される背景があるからです。

問題化されぬ常総市水海道地区での浸水原因

常総市の浸水地域は、鬼怒川と小貝川を挟む地域の中で起こりました。皆さんがニュースで目にする決壊場所は、浸水地域の北西部になります。

鬼怒川と小貝川に挟まれた地域が浸水。

国土交通省 関東地方整備局 台風17号及び18号に伴う降雨による災害への対応について【第3報】より抜粋(図上右方向が北。小貝川の上を流れる細い川が八間掘川)

鬼怒川、小貝川ばかりに目が行きがちですが、常総市水海道地区では、その間に流れる「八間掘川の越水と決壊」が浸水の要因となった事は、ニュースでも報じられることはありません。

「八間掘川」とは

常総市を縦断する形で流れる「鬼怒川」と「小貝川」を繋ぐ、幹線排水路と呼ばれるものです。

古来(江戸時代初期)に、洪水が常襲化していた「鬼怒川」と「小貝川」に挟まれた穀倉地域の治水対策として作られました。

どれだけ洪水が常襲化していたかは「水海道」と言う地名からも伺うことが出来ます。現在は下妻市を源流とし、常総市水海道地区にて新八間掘川と名前を変え鬼怒川と繋がっています。鬼怒川と新八間掘川は水門により区切られ、平時は開放されています。鬼怒川の水位上昇に伴い、これまで水門が閉じられてきました。この小さな川は「水害防止機能」として役目を持ってきた事になります。
新八間掘川とを区切る水門の開閉タイミングは正しい判断だったのか

9月11日 常総市水海道地区浸水状況 この浸水は八間掘川からの越水が要因

八間掘川が整備された背景を覗けば、鬼怒川水位上昇に伴い水門を閉じるという判断は正しいと言えます。しかし今回は「想定していた以上の鬼怒川からの逆流」が起きたのが事実です。

八間掘川は水海道地区中心部で越水し、大生小学校西側で決壊しました。決壊した水は大生小学校を飲み込み、小貝川に隣接する東端の大崎町まで流れました。この決壊により浸水したエリアは常総市の田園地域でもあり、排水が1週間かかった地域でもあります。冒頭のイメージ写真で分かる通り、鬼怒川と比べるまでもなく小さな川です。八間掘川への逆流が、鬼怒川が越水するほどの流量をまかなえないリスクを考慮せず、急場しのぎの対策ではなかったのか、八間掘川土手の高さは、石下地区からの流入被害を防げた可能性も考えられるとされ、新八間掘川周辺と八間掘川と小貝川の挟まれる地域で甚大被害に遭われた方々は、浸水に至った経緯が明らかにされない事に疑問の声を挙げています。

問われる行政責任 伝わらなかった危機

新八間掘川の越水及び八間掘川決壊による避難指示はなかったと水海道地区の方々は証言します。八間掘川決壊地点では自衛隊による監視が行われていましたが、それでも避難勧告は周辺地域に伝えられる事はありませんでした。鬼怒川と新八間掘川を繋ぐ水門の開閉状況がアナウンスされ、越水と決壊のリスクを考慮し、避難勧告が出されていれば、新八間掘川周辺地域と八間掘川東側地域の被害(孤立化し救助を待つ状況、車両被害、農工器具被害等)は最小限になった可能性があります。市民の方々に危機が伝わらずにいた事は、行政責任を問われるものではないでしょうか。

新八間掘川の越水と八間掘川の決壊は、十分な検証がなされ、常総市水海道地区の方々が納得できる説明が求められています。

早急な生活再建支援を

水害から1ヶ月、生活再建支援が使えずにいる状況は早急に改善すべきです。市民の声に耳を傾け、柔軟な対応が求められています。400名を超える方々が未だに避難所で暮らす状況が、いかに対応が遅く柔軟でないかを物語っています。

常総市大水害は、これまで経験した事のない広域被害になりました。水害当時の混乱期は、誰もが想定外の事態の中、出来ることを積み上げていく事しか出来ない局面でした。当時を振り返れば、あらゆる不備が不問とされる状況にあったと、被害に遭われた方々も思われています。

復興が進み、水害から1ヶ月経った現在においては、被災状況に沿った柔軟でスピード感のある支援が行われなくてはいけない局面にあります。

その積み重ねは防災、減災という観点から、将来の同規模災害リスク時への教訓として活かされていきます。

大規模災害を乗り越え、市民の安全安心を守れる街を構築したと評価された時、現在起きている行政への不信は払しょくされていくのではないでしょうか。
吉川彰浩 一般社団法人AFW 代表理事

1980年生まれ。元東京電力社員、福島第一、第二原子力発電所に勤務。放射性廃棄物処理設備の保守管理(現場管理、工事設計発注、官庁検査対応)を担当。原発事故により福島県双葉郡浪江町より福島県いわき市に避難生活中。福島第一原発、原発事故被災地域の一次情報を社会に伝える為に2012年6月に退職。民間一般人としての震災後初の福島第一原発視察を実現。「次世代に託すことが出来るふるさとを創造する」をモットーに一般社団法人AFWを運営し、福島県双葉郡地方の復興活動、暮らしにおける福島第一原発に対するリテラシー向上活動を被災地域住民の方々と協働で行っている。


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遅れる公的支援の状況と、明らかにされぬままの浸水原因が相まって、行政不信の声は日に日に大きくなっています。

進まぬ公的支援

公的支援が進まぬ主だった理由は、未だに「り災証明書」が被災された方々に届かぬ事が原因です。

り災証明書の申請受付は9月14日から行われました。今回、適用された大規模災害時に使える「応急修理制度」の適用は、り災証明書が必要となります。応急修理の名の通り、最低限暮らせる状態への支援金です。り災証明書が届くまでは、修理を行えずただただ待つばかりの状況にあります。また、発送が遅れている事だけでなく、認定されたり災程度(半壊、大規模半壊)によって、公的支援額が大きく異なることから、程度の判定の在り方に現地では不満の声が噴出しています。「半壊」と「大規模半壊」の判定の分かれ目は、床上浸水1mを基準としています。実際、床上数十センチでも1mでも被害程度の差はほとんどありません。判定に意義がある場合は再調査を申し出る必要があります。遅れているばかりか、実情被害と合わぬ「半壊」と「大規模半壊」の判定の在り方は、行政への不信に繋がっています。

現在も避難所で生活する方々は400名(10月9日12時で444人)を超えます。公営住宅の提供も進んでいません。ペットを飼われている方が入居でき無いことも問題となっています。

水害から1ヶ月が経ち、生活再建に向けて「備えられている公的支援」を受けられない状況にあることは、被災された方々に問題はなく、行政側の対応の遅れと、柔軟さを欠く対応が問題であると言えます。

公的支援の遅れだけで、行政不信を唱える声が噴出した分けではありません。これから綴る「八間掘川」で起きた事象が、災害ではなく人災では?と常総市水海道地区で暮らす方々の間で、問題視される背景があるからです。

問題化されぬ常総市水海道地区での浸水原因

常総市の浸水地域は、鬼怒川と小貝川を挟む地域の中で起こりました。皆さんがニュースで目にする決壊場所は、浸水地域の北西部になります。

鬼怒川と小貝川に挟まれた地域が浸水。

国土交通省 関東地方整備局 台風17号及び18号に伴う降雨による災害への対応について【第3報】より抜粋(図上右方向が北。小貝川の上を流れる細い川が八間掘川)

鬼怒川、小貝川ばかりに目が行きがちですが、常総市水海道地区では、その間に流れる「八間掘川の越水と決壊」が浸水の要因となった事は、ニュースでも報じられることはありません。

「八間掘川」とは

常総市を縦断する形で流れる「鬼怒川」と「小貝川」を繋ぐ、幹線排水路と呼ばれるものです。

古来(江戸時代初期)に、洪水が常襲化していた「鬼怒川」と「小貝川」に挟まれた穀倉地域の治水対策として作られました。

どれだけ洪水が常襲化していたかは「水海道」と言う地名からも伺うことが出来ます。現在は下妻市を源流とし、常総市水海道地区にて新八間掘川と名前を変え鬼怒川と繋がっています。鬼怒川と新八間掘川は水門により区切られ、平時は開放されています。鬼怒川の水位上昇に伴い、これまで水門が閉じられてきました。この小さな川は「水害防止機能」として役目を持ってきた事になります。
新八間掘川とを区切る水門の開閉タイミングは正しい判断だったのか

9月11日 常総市水海道地区浸水状況 この浸水は八間掘川からの越水が要因

八間掘川が整備された背景を覗けば、鬼怒川水位上昇に伴い水門を閉じるという判断は正しいと言えます。しかし今回は「想定していた以上の鬼怒川からの逆流」が起きたのが事実です。

八間掘川は水海道地区中心部で越水し、大生小学校西側で決壊しました。決壊した水は大生小学校を飲み込み、小貝川に隣接する東端の大崎町まで流れました。この決壊により浸水したエリアは常総市の田園地域でもあり、排水が1週間かかった地域でもあります。冒頭のイメージ写真で分かる通り、鬼怒川と比べるまでもなく小さな川です。八間掘川への逆流が、鬼怒川が越水するほどの流量をまかなえないリスクを考慮せず、急場しのぎの対策ではなかったのか、八間掘川土手の高さは、石下地区からの流入被害を防げた可能性も考えられるとされ、新八間掘川周辺と八間掘川と小貝川の挟まれる地域で甚大被害に遭われた方々は、浸水に至った経緯が明らかにされない事に疑問の声を挙げています。

問われる行政責任 伝わらなかった危機

新八間掘川の越水及び八間掘川決壊による避難指示はなかったと水海道地区の方々は証言します。八間掘川決壊地点では自衛隊による監視が行われていましたが、それでも避難勧告は周辺地域に伝えられる事はありませんでした。鬼怒川と新八間掘川を繋ぐ水門の開閉状況がアナウンスされ、越水と決壊のリスクを考慮し、避難勧告が出されていれば、新八間掘川周辺地域と八間掘川東側地域の被害(孤立化し救助を待つ状況、車両被害、農工器具被害等)は最小限になった可能性があります。市民の方々に危機が伝わらずにいた事は、行政責任を問われるものではないでしょうか。

新八間掘川の越水と八間掘川の決壊は、十分な検証がなされ、常総市水海道地区の方々が納得できる説明が求められています。

早急な生活再建支援を

水害から1ヶ月、生活再建支援が使えずにいる状況は早急に改善すべきです。市民の声に耳を傾け、柔軟な対応が求められています。400名を超える方々が未だに避難所で暮らす状況が、いかに対応が遅く柔軟でないかを物語っています。

常総市大水害は、これまで経験した事のない広域被害になりました。水害当時の混乱期は、誰もが想定外の事態の中、出来ることを積み上げていく事しか出来ない局面でした。当時を振り返れば、あらゆる不備が不問とされる状況にあったと、被害に遭われた方々も思われています。

復興が進み、水害から1ヶ月経った現在においては、被災状況に沿った柔軟でスピード感のある支援が行われなくてはいけない局面にあります。

その積み重ねは防災、減災という観点から、将来の同規模災害リスク時への教訓として活かされていきます。

大規模災害を乗り越え、市民の安全安心を守れる街を構築したと評価された時、現在起きている行政への不信は払しょくされていくのではないでしょうか。
吉川彰浩 一般社団法人AFW 代表理事

1980年生まれ。元東京電力社員、福島第一、第二原子力発電所に勤務。放射性廃棄物処理設備の保守管理(現場管理、工事設計発注、官庁検査対応)を担当。原発事故により福島県双葉郡浪江町より福島県いわき市に避難生活中。福島第一原発、原発事故被災地域の一次情報を社会に伝える為に2012年6月に退職。民間一般人としての震災後初の福島第一原発視察を実現。「次世代に託すことが出来るふるさとを創造する」をモットーに一般社団法人AFWを運営し、福島県双葉郡地方の復興活動、暮らしにおける福島第一原発に対するリテラシー向上活動を被災地域住民の方々と協働で行っている。

【2015/10/10 23:50】 | Webの記事
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