「ダム建設の時代は終わった」by米国内務省開拓局長官ウィリアム・ピアーズ
                嶋津 暉之

2011年の東日本大震災で決壊し、7人の死者を出した藤沼ダムのその後について現地ルポです。

◆【被災地を歩く】福島・須賀川の藤沼ダム 工事進むも復興の一歩遠く
(産経新聞2015年 8月3日)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150803-00000002-san-l07

一見しただけでは、湖だったとは分からない。だが、4年余り前、そこには「地域の水瓶(みずがめ)」として親しまれた湖があった。周辺の地域は、今ではメディアにもほとんど取り上げられることのない“忘れられた被災地”になっている。

福島県郡山市の東北道・郡山南インターから同県須賀川市の水田の間を走り抜けると、約20分で水のない湖「藤沼湖」が見えてきた。東京電力福島第1原発から西に70キロ以上離れているが、道路沿いでは今も除染作業の光景が見られる。

公園の管理センターの先にはゲートが設けられ、湖のそばまで車で入ることはできない。歩いて進むと、目の前には広大な工事現場が広がっていた。パワーショベルがうなりを上げ、荷台に土を積んだダンプカーがひっきりなしに行き交う。その場所は東日本大震災前まで湖の底だった。

藤沼湖は農業用水をためるため、昭和24年に完成した藤沼ダムでせき止めていた。しかし、震災でダムが決壊し、濁流が一瞬にして下流の集落をのみ込んだ。19戸が全壊・流失し、7人が亡くなった。当時1歳の男児の行方は分かっていない。海から遠く離れ、雨も降っていない中で起きた予期せぬ水害だった。

〇水瓶復活が悲願

平成29年3月の完成を目指し、新たなダムの建設工事が急ピッチで進む。一日も早い水瓶の復活は地元の悲願だ。

「今年は雨が少なくて稲の生育が遅れている。震災前までは湖の水で困ることはなかったが、今は雨を待つしかない」

湖に近い長沼地区の農家の男性(65)はもどかしそうな表情を浮かべた。藤沼湖では農閑期に、翌春の稲作に備え水をためておくという。震災があった3月はほぼ満水だった。男性は「もし(震災が)田に水を入れる時期に起きていたら、被害はもっと小さかったかもしれない」と話し、湖の方に目をやった。

湖畔に整備された自然公園では、地元の人たちが青々とした芝の上でパークゴルフを楽しんでいた。震災と原発事故後、除染などのため一時閉鎖され、再び使えるようになったのは今年5月。「コースがまた使えるようになってよかった」。約14年間ゴルフ場に通っているという男性(74)はうれしそうに話し汗をぬぐった。

温泉施設「やまゆり荘」やコテージなども再開し、利用者は震災前の年間10万人近くまで戻りつつある。首都圏からの客も多かっただけに、公園の管理責任者、相楽(さがら)美昭(よしあき)さん(61)は「施設が安全に利用できることを広く発信していきたい」と話す。

〇やっとここまで…

見た目には復興が進んでいるようだが、被災者の胸中は複雑だ。「4年たってやっとここまで来た」。藤沼湖から流れ出る簀(す)の子(こ)川沿いに住んでいた主婦、大森節子さん(60)はかみしめるように話した。

震災の10年前に建てた自宅は「想定外」の濁流にのみ込まれた。自身は仕事で外出し、夫と娘の家族全員が無事だったが、家にいた愛犬の行方が分からなくなった。残ったのは、車2台と着ていた服だけだ。

今年4月、避難していた市内のアパートから自宅跡近くに完成した新居に移った。それを機に、これまで足が向かなかったダムの工事現場も見に行った。自宅跡には防災公園が整備されるという。大森さんは「公園や慰霊碑ができて、それでようやく一歩じゃないかな。まだ『復興した』とはいえないね」と話す。

少しずつ前に進み始めた喜びと、多くを失った悲しみ。ここにも被災地の複雑な思いが交錯している。(野田佑介)


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平成29年3月の完成を目指し、新たなダムの建設工事が急ピッチで進む。一日も早い水瓶の復活は地元の悲願だ。

「今年は雨が少なくて稲の生育が遅れている。震災前までは湖の水で困ることはなかったが、今は雨を待つしかない」

湖に近い長沼地区の農家の男性(65)はもどかしそうな表情を浮かべた。藤沼湖では農閑期に、翌春の稲作に備え水をためておくという。震災があった3月はほぼ満水だった。男性は「もし(震災が)田に水を入れる時期に起きていたら、被害はもっと小さかったかもしれない」と話し、湖の方に目をやった。

湖畔に整備された自然公園では、地元の人たちが青々とした芝の上でパークゴルフを楽しんでいた。震災と原発事故後、除染などのため一時閉鎖され、再び使えるようになったのは今年5月。「コースがまた使えるようになってよかった」。約14年間ゴルフ場に通っているという男性(74)はうれしそうに話し汗をぬぐった。

温泉施設「やまゆり荘」やコテージなども再開し、利用者は震災前の年間10万人近くまで戻りつつある。首都圏からの客も多かっただけに、公園の管理責任者、相楽(さがら)美昭(よしあき)さん(61)は「施設が安全に利用できることを広く発信していきたい」と話す。

〇やっとここまで…

見た目には復興が進んでいるようだが、被災者の胸中は複雑だ。「4年たってやっとここまで来た」。藤沼湖から流れ出る簀(す)の子(こ)川沿いに住んでいた主婦、大森節子さん(60)はかみしめるように話した。

震災の10年前に建てた自宅は「想定外」の濁流にのみ込まれた。自身は仕事で外出し、夫と娘の家族全員が無事だったが、家にいた愛犬の行方が分からなくなった。残ったのは、車2台と着ていた服だけだ。

今年4月、避難していた市内のアパートから自宅跡近くに完成した新居に移った。それを機に、これまで足が向かなかったダムの工事現場も見に行った。自宅跡には防災公園が整備されるという。大森さんは「公園や慰霊碑ができて、それでようやく一歩じゃないかな。まだ『復興した』とはいえないね」と話す。

少しずつ前に進み始めた喜びと、多くを失った悲しみ。ここにも被災地の複雑な思いが交錯している。(野田佑介)

【2015/08/04 00:19】 | 未分類
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