「ダム建設の時代は終わった」by米国内務省開拓局長官ウィリアム・ピアーズ
◆「宝」の香り 星三つ
(読売新聞関西版 2015年01月07日) 
http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/CO012651/20150107-OYTAT50106.html

パリ・エッフェル塔近くの三つ星レストラン「アストランス」は、3か月先も予約で埋まる屈指の名店だ。

シェフは、フランスの「シェフオブザイヤー」にも選ばれ、若手筆頭格の一人と目されるパスカル・バルボ(42)。世界中からよりすぐりの食材が集まる食の都にあって、徳島県旧木頭村(きとうそん)(現那賀(なか)町)のユズにほれ込み、6年ほど前から果汁を仕入れてきた。

「その香りは花のように上品で、繊細で、官能的。木頭のユズの品質は、とても高いレベルで一定しているんだ」とバルボは言う。
パリ近郊にある「ラ・ブルゴーニュ」のシェフ、ステファン・シェベロウ(45)もこの冬、初めて木頭産ユズの果実を仕入れた。

皮をすり、オリーブオイルとともにホタテにかける。フォアグラのテリーヌにはユズのコンフィ(砂糖煮)。「どんな料理にも使え、料理の格を高めてくれる」と賛辞を惜しまない。

フランスだけではない。今やアメリカやオーストラリアなどにも加工品が輸出され、皮の抽出オイルは香水の原料として注目を集める。加工販売会社「黄金の村」を率いる藤田恭嗣(やすし)(41)は、世界に目を向ける。

木頭でユズ栽培が本格化したのは1960年頃。住民たちは良質の実をつけた枝を集中的に育て、肥料や貯蔵方法の改良を重ねて品質を高めていった。

やがて、危機が訪れた。

村は、国のダム計画に揺れた96年春、藤田の父で助役だった堅太郎(けんたろう)が中心となり、特産品を加工販売する第3セクター「きとうむら」を設立。その半年後、堅太郎は命を絶ち、離農も相次いだ。隣の高知県がユズの生産量を増やしていったのとは対照的に、出荷額は下降線をたどった。

この時、窮地にあったユズに光を当てたのが、「きとうむら」再建のため99年に東京から招かれた店舗コンサルタントの現社長、日野雄策(57)だった。

付加価値を高めるため、90戸の農家は無農薬栽培に挑戦し、日野は「西洋料理に広めよう」と東京のレストランを回った。その結果、フランス人シェフらの評判を呼び、本国から注文が入るようになったのだ。

コンサルタントとして全国を見てきた日野には、一つの確信がある。「過疎と言われる日本中のどの地にも、宝は埋まっている。地域に根ざした産品や文化こそ世界で戦える」と。

神代晃滋(かみよこうじ)(52)も、ユズを守り育てた一人だ。

出身地の大阪で洋服輸入業をしていたが、2001年、市場の東京一極化と景気低迷の中で限界を感じ、木頭にIターンした。もともと関心のあった林業に従事して数年後、後継者のいないユズ農園を借り受け、魅力にとりつかれた。

ユズ果汁やぽん酢などの商品を開発し、百貨店に売り込んだ。そして、藤田と出会った。「僕たちの役目は、木頭の人々が一番よく知る魅力を『翻訳』して発信すること。この山あいから世界を相手に仕事ができる」と、夢は重なった。

神代は13年5月の「黄金の村」設立当初から役員を務め、藤田を支えている。

ダム計画を巡り、村と県は激しく対立した。今、しこりは過去のものとなり、県は生産農家や「黄金の村」、「きとうむら」などとともに木頭産ユズのブランド化を進め、輸出の重点品目に位置づけている。東京の百貨店で販売会があれば、子や孫のUターンを待つ「劇団もんてこい丹生谷(にゅうだに)」のおばちゃんたちが応援に駆けつける。

そして、昨年10月。日野が、東京で藤田が経営するIT企業「メディアドゥ」を訪ね、切り出した。

「『きとうむら』は、あなたのお父さんが作った。一緒にやっていこう」

藤田も、力を合わせる方法を考えている。故郷の明日を見つめる視線に、迷いはない。

「地方から東京へという流れを、誰かが崩さなきゃいけない。それが僕の役目だと思っている」

人は減った。国の施策に乗って栄えた産業も衰退した。それでも木頭には、ユズという宝がある。

(敬称略、「旧木頭村の挑戦」おわり)

文・松本航介、関俊一 写真・原田拓未



<広がる6次産業化>

「黄金の村」のように、農林水産業の生産者らが産品に付加価値をつけるため自ら加工・販売する「6次産業化」の取り組みが、各地で広がっている。

国は2011年、6次産業化法を施行。新たに加工や販売に取り組む際、国の認定を条件に融資や補助金などの優遇策を受けられるようになった。認定事業は昨年12月までに1982件に上り、生産者の売上高は1年後に平均15%、2年後に20%増えたという。

政府は、6次産業化の推進を成長戦略に盛り込み、2010年に1兆円だった総販売額を10兆円に拡大することを目指している。


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パリ近郊にある「ラ・ブルゴーニュ」のシェフ、ステファン・シェベロウ(45)もこの冬、初めて木頭産ユズの果実を仕入れた。

皮をすり、オリーブオイルとともにホタテにかける。フォアグラのテリーヌにはユズのコンフィ(砂糖煮)。「どんな料理にも使え、料理の格を高めてくれる」と賛辞を惜しまない。

フランスだけではない。今やアメリカやオーストラリアなどにも加工品が輸出され、皮の抽出オイルは香水の原料として注目を集める。加工販売会社「黄金の村」を率いる藤田恭嗣(やすし)(41)は、世界に目を向ける。

木頭でユズ栽培が本格化したのは1960年頃。住民たちは良質の実をつけた枝を集中的に育て、肥料や貯蔵方法の改良を重ねて品質を高めていった。

やがて、危機が訪れた。

村は、国のダム計画に揺れた96年春、藤田の父で助役だった堅太郎(けんたろう)が中心となり、特産品を加工販売する第3セクター「きとうむら」を設立。その半年後、堅太郎は命を絶ち、離農も相次いだ。隣の高知県がユズの生産量を増やしていったのとは対照的に、出荷額は下降線をたどった。

この時、窮地にあったユズに光を当てたのが、「きとうむら」再建のため99年に東京から招かれた店舗コンサルタントの現社長、日野雄策(57)だった。

付加価値を高めるため、90戸の農家は無農薬栽培に挑戦し、日野は「西洋料理に広めよう」と東京のレストランを回った。その結果、フランス人シェフらの評判を呼び、本国から注文が入るようになったのだ。

コンサルタントとして全国を見てきた日野には、一つの確信がある。「過疎と言われる日本中のどの地にも、宝は埋まっている。地域に根ざした産品や文化こそ世界で戦える」と。

神代晃滋(かみよこうじ)(52)も、ユズを守り育てた一人だ。

出身地の大阪で洋服輸入業をしていたが、2001年、市場の東京一極化と景気低迷の中で限界を感じ、木頭にIターンした。もともと関心のあった林業に従事して数年後、後継者のいないユズ農園を借り受け、魅力にとりつかれた。

ユズ果汁やぽん酢などの商品を開発し、百貨店に売り込んだ。そして、藤田と出会った。「僕たちの役目は、木頭の人々が一番よく知る魅力を『翻訳』して発信すること。この山あいから世界を相手に仕事ができる」と、夢は重なった。

神代は13年5月の「黄金の村」設立当初から役員を務め、藤田を支えている。

ダム計画を巡り、村と県は激しく対立した。今、しこりは過去のものとなり、県は生産農家や「黄金の村」、「きとうむら」などとともに木頭産ユズのブランド化を進め、輸出の重点品目に位置づけている。東京の百貨店で販売会があれば、子や孫のUターンを待つ「劇団もんてこい丹生谷(にゅうだに)」のおばちゃんたちが応援に駆けつける。

そして、昨年10月。日野が、東京で藤田が経営するIT企業「メディアドゥ」を訪ね、切り出した。

「『きとうむら』は、あなたのお父さんが作った。一緒にやっていこう」

藤田も、力を合わせる方法を考えている。故郷の明日を見つめる視線に、迷いはない。

「地方から東京へという流れを、誰かが崩さなきゃいけない。それが僕の役目だと思っている」

人は減った。国の施策に乗って栄えた産業も衰退した。それでも木頭には、ユズという宝がある。

(敬称略、「旧木頭村の挑戦」おわり)

文・松本航介、関俊一 写真・原田拓未



<広がる6次産業化>

「黄金の村」のように、農林水産業の生産者らが産品に付加価値をつけるため自ら加工・販売する「6次産業化」の取り組みが、各地で広がっている。

国は2011年、6次産業化法を施行。新たに加工や販売に取り組む際、国の認定を条件に融資や補助金などの優遇策を受けられるようになった。認定事業は昨年12月までに1982件に上り、生産者の売上高は1年後に平均15%、2年後に20%増えたという。

政府は、6次産業化の推進を成長戦略に盛り込み、2010年に1兆円だった総販売額を10兆円に拡大することを目指している。

【2015/01/10 10:56】 | 新聞記事から
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