「ダム建設の時代は終わった」by米国内務省開拓局長官ウィリアム・ピアーズ
◆現場から記者リポート:「丹生ダム」の建設問題 「償いの証し」を 移転住民、「苦渋の選択」2度 /滋賀
(毎日新聞滋賀版 2014年11月18日)
http://mainichi.jp/area/shiga/news/20141118ddlk25010448000c.html

今年1月、長浜市余呉町の高時川上流に国が計画していた「丹生(にう)ダム」の建設中止が事実上決まった。水没予定地の住民が立ち退いた後に中止となるのは全国でも例がない。

それから10カ月が過ぎたが、苦渋の思いで集落を離れた人たちは「46年間も翻弄(ほんろう)され、古里は荒廃した」と話す。ダム建設予定地を訪ねた。【桑田潔】

県北部、福井・岐阜県境に近い高時川の最上流域。小原(おはら)地区など水没予定地だった6集落には背丈の高い雑草が生い茂り、かつて住民が山菜採りや炭焼き用の木を集めるために通った山道も消えていた。

住民たちは先人が眠る墓の遺骨とともに移転したが、集落墓地や地蔵尊を祭るほこらは残されたまま。川のせせらぎが聞こえる建設現場では、「ここが丹生ダムの予定地です」と書かれた大きな看板の鉄柱がさび付いていた。

余呉町内や長浜市街地などに移転した民家は約40戸。移転住民はこれまでに2度「苦渋の選択」をしたという。
1度目はダム建設計画が持ち上がり、集団移転を迫られた時。移転住民らでつくる「丹生ダム対策委員会」(対策委員30人、支部委員57人)の丹生善喜(よしき)委員長(67)は「私たちはダム建設に反対だった。でも、ダムの恩恵を受ける下流域や他府県の事情なども考え、古里が水の底に沈むという気持ちの整理に相当の時間をかけて移転に合意した。それなのに、ダム建設に反対する人たちから『ダム推進派』と言われたこともある」。

2度目は、建設中止が事実上決まり、国交省がダム対策委に対し、具体案に欠ける現場整備など5項目を示し、住民の意見を聴きに来た今年8月。丹生委員長は「国交省に何度あやまってもらっても気持ちの整理はつかない。私たちが暮らした証しをどう残すのか、真剣に考えてほしい。本当は、国交省から具体案が示されないまま、話し合いのテーブルにはつきたくなかった」。

移転した住民の中には、特に用事もなく、元集落を訪ねる人もいるという。時折、山林の伐採に行くという元奥川並集落の横山屯(たむろ)さん(72)=ダム対委副委員長=は「小さい頃はよく山や川で遊んだ。古里への思いは口にできない」と話す。私は、ダム建設計画で荒廃した古里に心を痛めながらも、心まですさんではいない住民の重い言葉だと思った。

ダム対策委は国交省が示した5項目について具体的な要求案を検討。丹生委員長は「人が住める魅力的な地域にしたい。余呉の素晴らしい自然や文化を大事に守っていく人を増やしたい」と話した。住民を巻き込んで半世紀近くにわたり紆余(うよ)曲折した丹生ダム建設の問題はまだ終わりを告げてはいない。

==============

<丹生ダム建設の主な経緯>

1968年10月 予備調査開始

88年 4月 建設事業に着手

96年12月 水没予定だった約40戸の移転終了

2008年 9月 国交省の諮問機関「淀川水系流域委員会」が計画見直しを提言

09年10月 ダム本体工事が未着工のまま建設計画が凍結

13年 9月 大阪、京都、兵庫の3府県が「異常渇水対策でダム建設は必要性・緊急性が低い」との見解示す

14年 1月 近畿地方整備局が、河川改修などの対案が「ダム建設よりもコストや効果の面で有利」と結論付け、ダム建設計画が事実上の中止に

2月 長浜市が丹生ダム対策室を設置

3月 近畿地整・水資源機構と移転住民らの第1回地元説明会

8月 第2回地元説明会。近畿地整が集落跡地の保全方法など5項目をあげ、移転住民らに意見を求める

9月 県の丹生ダム対策チームが発足。

第3回地元説明会。移転住民らが国交省との協議受け入れを決める


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1度目はダム建設計画が持ち上がり、集団移転を迫られた時。移転住民らでつくる「丹生ダム対策委員会」(対策委員30人、支部委員57人)の丹生善喜(よしき)委員長(67)は「私たちはダム建設に反対だった。でも、ダムの恩恵を受ける下流域や他府県の事情なども考え、古里が水の底に沈むという気持ちの整理に相当の時間をかけて移転に合意した。それなのに、ダム建設に反対する人たちから『ダム推進派』と言われたこともある」。

2度目は、建設中止が事実上決まり、国交省がダム対策委に対し、具体案に欠ける現場整備など5項目を示し、住民の意見を聴きに来た今年8月。丹生委員長は「国交省に何度あやまってもらっても気持ちの整理はつかない。私たちが暮らした証しをどう残すのか、真剣に考えてほしい。本当は、国交省から具体案が示されないまま、話し合いのテーブルにはつきたくなかった」。

移転した住民の中には、特に用事もなく、元集落を訪ねる人もいるという。時折、山林の伐採に行くという元奥川並集落の横山屯(たむろ)さん(72)=ダム対委副委員長=は「小さい頃はよく山や川で遊んだ。古里への思いは口にできない」と話す。私は、ダム建設計画で荒廃した古里に心を痛めながらも、心まですさんではいない住民の重い言葉だと思った。

ダム対策委は国交省が示した5項目について具体的な要求案を検討。丹生委員長は「人が住める魅力的な地域にしたい。余呉の素晴らしい自然や文化を大事に守っていく人を増やしたい」と話した。住民を巻き込んで半世紀近くにわたり紆余(うよ)曲折した丹生ダム建設の問題はまだ終わりを告げてはいない。

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<丹生ダム建設の主な経緯>

1968年10月 予備調査開始

88年 4月 建設事業に着手

96年12月 水没予定だった約40戸の移転終了

2008年 9月 国交省の諮問機関「淀川水系流域委員会」が計画見直しを提言

09年10月 ダム本体工事が未着工のまま建設計画が凍結

13年 9月 大阪、京都、兵庫の3府県が「異常渇水対策でダム建設は必要性・緊急性が低い」との見解示す

14年 1月 近畿地方整備局が、河川改修などの対案が「ダム建設よりもコストや効果の面で有利」と結論付け、ダム建設計画が事実上の中止に

2月 長浜市が丹生ダム対策室を設置

3月 近畿地整・水資源機構と移転住民らの第1回地元説明会

8月 第2回地元説明会。近畿地整が集落跡地の保全方法など5項目をあげ、移転住民らに意見を求める

9月 県の丹生ダム対策チームが発足。

第3回地元説明会。移転住民らが国交省との協議受け入れを決める

【2014/11/19 23:46】 | 新聞記事から
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