「ダム建設の時代は終わった」by米国内務省開拓局長官ウィリアム・ピアーズ
◆計画一転 戸惑う住民 淀川水系ダム論争(1) 軌跡
(日本経済新聞 2014/9/9) 
http://www.nikkei.com/article/DGXLASJB29H45_R00C14A9AA1P00/

滋賀県や三重県などの山間部を源流とする淀川水系は国の大型ダムをめぐって激論が戦わされた地域だ。学識経験者や流域住民らでつくる国土交通省近畿地方整備局の諮問機関、淀川水系流域委員会の提案が中止につながったダムもある。

福井県境に近い滋賀県長浜市の山中に水資源機構の丹生(にう)ダムの建設予定地がある。JR北陸本線の余呉駅から北へ10キロ。緑深い渓谷に高時川が流れ、魚釣りを楽しむ人が見受けられた。冬は豪雪に見舞われるという。

今年1月、近畿地方整備局は関係自治体との同ダムの検討の場で、建設中止の方向を示した。今後、国交相が最終決定する見通し。建設予定地の住民の移転を終え、12年度までに周辺道路の整備など事業費566億円余りが投じられた中での方針転換だ。

予備調査が始まったのは1968年に遡る。堤の高さは145メートル、総貯水容量は1億5000万立方メートルだ。滋賀県は高時川などの洪水対策、琵琶湖下流の京都府、大阪府、阪神水道企業団(神戸市など兵庫県内4市で構成)は水道への利用を要望し、家屋の移転などが進んだ。

2003年、淀川水系流域委員会が自然環境への配慮などを理由にダム見直しを提言してから状況が変わった。05年に京都府、大阪府、阪神水道企業団が水需要の減少で撤退し、水源確保でダムをつくる理由がなくなった。その後、堤防補強などで治水も代替できることが分かった。

計画に反対しながら移転した住民は国に怒りの声を上げる。住民でつくる丹生ダム対策委員会の丹生善喜委員長は「整備局が8月に示した地域整備の項目を対策委で協議する」と話す。

建設が継続された例もある。水資源機構の川上ダム(三重県伊賀市)について、国交省は8月に継続を決めた。

予定地は近鉄青山町駅から車で10分、伊賀市の住宅地にも近い。67年に予備調査が始まり、総事業費は1180億円(07年時点の試算)。堤の高さは90メートル、総貯水容量は3100万立方メートルだ。

利水を計画していた奈良県、兵庫県西宮市が撤退したが、伊賀市は利水と治水、三重県、京都府、大阪府は治水で事業にそれぞれ参画している。

流域委が見直しを求めたダムの一つでもあった。しかし整備局との検討の場で三重県や伊賀市が最近の豪雨の浸水被害を訴えた。整備局は代替案と比べた結果、ダムが有利と判断した。

川上ダム建設促進期成同盟会の西山甲平会長は「住民の生命と財産を洪水から守るため完成してほしい」と要望する。反対派の住民団体「木津川流域のダムを考えるネットワーク」の浜田不二子さんは「治水効果は限定的ではないか」と疑問を投げかける。

ダム見直しを求めた流域委はどんな組織だったのか。

編集委員 種田龍二が担当します。


◆変革めざした5方針 淀川水系ダム論争(2) 軌跡
(日本経済新聞 2014/9/10)
http://www.nikkei.com/article/DGXLASJB30H0D_R00C14A9AA1P00/
丹生ダム(滋賀県長浜市)の建設中止方針に影響を与えた淀川水系流域委員会は河川管理の基本法である河川法に位置付けられた組織だ。

1997年に河川環境への配慮から同法が改正となり、国などの河川管理者は学識経験者、住民、自治体首長の意見を踏まえて河川整備計画を作ることになった。淀川水系の計画に意見を述べるために発足したのが同流域委だ。

あり方を事前に議論した準備会議の委員、寺田武彦弁護士(後に流域委委員、第2代委員長)は日本弁護士連合会の公害対策・環境保全委員会などで公害や環境の問題に長年関わった。それだけに「公害訴訟などの経験に基づく集大成にとの思いがあった」と振り返る。

徹底した情報公開、自主的な運営、幅広い意見の聴取、計画の原案段階からの議論、委員による意見書などの執筆――の5つの方針を決めた。新しい公共事業のモデル「淀川モデル」と名付け、後に全国に知られる。

2001年に流域委が発足し、当初は方針通り運営された。53人の委員が参加し、大学教授、漁師、自然保護団体の代表らが治水、利水、環境などについて討論。傍聴者も発言でき、従来の諮問機関では考えられない民主的な雰囲気があった。

当初1年で40回以上の会合(部会や現地視察を含む)が開かれた。しかし流域委の姿は変わっていく。


◆建設せず」提言に反響 淀川水系ダム論争(3) 軌跡
(日本経済新聞 2014/9/11 )
http://www.nikkei.com/article/DGXLASJB30H0F_R00C14A9AA1P00/

「ダムは自然環境に及ぼす影響が大きいため、原則として建設しない」。淀川水系流域委員会の2003年の提言は大きな反響を呼んだ。

原案づくりの中心となったのが京都大学名誉教授(河川工学)の今本博健委員(後に流域委第3代委員長)。発足から2年間の議論を踏まえて委員会でまとめた。

今本さんは「ダムは極力抑制すると書くか、原則として建設しないと書くかで悩み、委員の投票にかけた」と振り返る。過半数の委員が「建設しない」の記述を支持したため、提言に盛り込んだ。

当時、淀川水系には5つのダム計画があった。水資源機構の丹生、川上、国土交通省の大戸川、余野川と天ケ瀬ダムの再開発だ。提言を受けて国は本体着工を見送り、自らも計画の精査を始めた。

今本さんはダム計画すべてに反対したわけではないが、丹生、川上は治水効果が限られるとみる。川上の場合、下流の上野遊水池の越流堤(洪水が入るように一部を低くした堤防)を改修すれば「ダムは要らない」と主張した。

脱ダムを掲げた民主党政権の発足後、最終的な結論を出すための検証作業が本格化した。その結果、一時は凍結された川上ダムは14年8月に建設が継続されることになった。

近畿地方整備局の笠井雅広河川調査官は「代替案の意見は検討した。戦後最大の水害と同規模の水害に備えてダムは必要」と説明している。


◆流域委と国、意見対立 淀川水系ダム論争(4)軌跡
(2014/9/12 6:30 )
http://www.nikkei.com/article/DGXLASJB0200K_S4A900C1960E00/

国土交通省近畿地方整備局は2005年、淀川水系の国の5つのダムについて方針を発表した。大阪府など水道事業者が撤退した大戸川、余野川の両ダムは中止し、洪水対策などのため丹生、川上の両ダムと天ケ瀬ダム再開発は事業を続ける内容だった。

「原則中止」を提言していた淀川水系流域委員会は抗議した。その後、同局と流域委の対立は激しくなった。

流域委の第4代委員長、宮本博司さんは国土交通省の官僚出身だ。淀川河川事務所長として流域委の発足に尽力した。

反対運動が激しかった国の長良川河口堰(ぜき、三重県)の建設を担当する事務所長の経験を持つ。この時「計画前から住民と意見を共有することが大事」と気付き、流域委の運営に生かした。

退職後に流域委の委員となり、委員長に選ばれた。自分の後任の同局河川部長となった谷本光司さんと議論した。

争点のひとつは洪水対策として何を最優先するか。宮本さんは洪水で堤防が壊れるのを防ぐため堤防強化を最優先する考えだったが、同局は堤防強化と上流のダム建設を同時に進めるよう主張した。

宮本さんは委員を退任した今も「限られた予算で何を優先するのか議論したのに取り上げられなかった」と残念がる。同省を退職した谷本さんは「堤防強化は省内に共通した見解。ただし絶対安全な堤防はない」と話し、ダムを重視する姿勢を変えていない。


◆自治体連携へ道筋探る 淀川水系ダム論争(5) 軌跡
〔日本経済新聞2014/9/13 )  
http://www.nikkei.com/article/DGXLASJB02H46_T00C14A9960E00/

近畿地方整備局は2009年、淀川水系の治水、環境保全などの方向性を示す河川整備計画を発表した。

5ダムのうち余野川は中止、丹生、天ケ瀬再開発、川上は継続とした。大戸川は凍結・事業継続と併記となった。天ケ瀬再開発を除いた抜本見直しを求めた淀川水系流域委員会の意見はあまり反映されてい

流域委は現在、同計画の進捗状況を点検している。発足当初は学識経験者と地域住民が議論していたが、別の部会に分かれた。傍聴者の意見表明は会合で認められない。

ダム建設は長い年月がかかる。計画地の用地買収が進むと地元への配慮などから事業を中止しにくい。1990年代からは公共事業への批判や環境保全などを背景に見直しの論点も複雑になっている。

河川法改正で環境への配慮や住民の意見の反映などは進んだ。日本を代表する河川であり、複数の府県や市町村を流れる淀川は、先進的な試みの舞台にふさわしい。流域委はその象徴だったが、残念ながら現状の運営は後退した。

第5代委員長で滋賀大学環境総合研究センターの中村正久特任教授(環境政策)は流域委の経験を生かし、新しい課題に取り組む。関西広域連合は8月、琵琶湖・淀川流域の自治体の連携を探る研究会を設け、中村さんらが兵庫県、滋賀県の条例の研究を始めた。
(この項おわり)


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丹生ダム(滋賀県長浜市)の建設中止方針に影響を与えた淀川水系流域委員会は河川管理の基本法である河川法に位置付けられた組織だ。

1997年に河川環境への配慮から同法が改正となり、国などの河川管理者は学識経験者、住民、自治体首長の意見を踏まえて河川整備計画を作ることになった。淀川水系の計画に意見を述べるために発足したのが同流域委だ。

あり方を事前に議論した準備会議の委員、寺田武彦弁護士(後に流域委委員、第2代委員長)は日本弁護士連合会の公害対策・環境保全委員会などで公害や環境の問題に長年関わった。それだけに「公害訴訟などの経験に基づく集大成にとの思いがあった」と振り返る。

徹底した情報公開、自主的な運営、幅広い意見の聴取、計画の原案段階からの議論、委員による意見書などの執筆――の5つの方針を決めた。新しい公共事業のモデル「淀川モデル」と名付け、後に全国に知られる。

2001年に流域委が発足し、当初は方針通り運営された。53人の委員が参加し、大学教授、漁師、自然保護団体の代表らが治水、利水、環境などについて討論。傍聴者も発言でき、従来の諮問機関では考えられない民主的な雰囲気があった。

当初1年で40回以上の会合(部会や現地視察を含む)が開かれた。しかし流域委の姿は変わっていく。


◆建設せず」提言に反響 淀川水系ダム論争(3) 軌跡
(日本経済新聞 2014/9/11 )
http://www.nikkei.com/article/DGXLASJB30H0F_R00C14A9AA1P00/

「ダムは自然環境に及ぼす影響が大きいため、原則として建設しない」。淀川水系流域委員会の2003年の提言は大きな反響を呼んだ。

原案づくりの中心となったのが京都大学名誉教授(河川工学)の今本博健委員(後に流域委第3代委員長)。発足から2年間の議論を踏まえて委員会でまとめた。

今本さんは「ダムは極力抑制すると書くか、原則として建設しないと書くかで悩み、委員の投票にかけた」と振り返る。過半数の委員が「建設しない」の記述を支持したため、提言に盛り込んだ。

当時、淀川水系には5つのダム計画があった。水資源機構の丹生、川上、国土交通省の大戸川、余野川と天ケ瀬ダムの再開発だ。提言を受けて国は本体着工を見送り、自らも計画の精査を始めた。

今本さんはダム計画すべてに反対したわけではないが、丹生、川上は治水効果が限られるとみる。川上の場合、下流の上野遊水池の越流堤(洪水が入るように一部を低くした堤防)を改修すれば「ダムは要らない」と主張した。

脱ダムを掲げた民主党政権の発足後、最終的な結論を出すための検証作業が本格化した。その結果、一時は凍結された川上ダムは14年8月に建設が継続されることになった。

近畿地方整備局の笠井雅広河川調査官は「代替案の意見は検討した。戦後最大の水害と同規模の水害に備えてダムは必要」と説明している。


◆流域委と国、意見対立 淀川水系ダム論争(4)軌跡
(2014/9/12 6:30 )
http://www.nikkei.com/article/DGXLASJB0200K_S4A900C1960E00/

国土交通省近畿地方整備局は2005年、淀川水系の国の5つのダムについて方針を発表した。大阪府など水道事業者が撤退した大戸川、余野川の両ダムは中止し、洪水対策などのため丹生、川上の両ダムと天ケ瀬ダム再開発は事業を続ける内容だった。

「原則中止」を提言していた淀川水系流域委員会は抗議した。その後、同局と流域委の対立は激しくなった。

流域委の第4代委員長、宮本博司さんは国土交通省の官僚出身だ。淀川河川事務所長として流域委の発足に尽力した。

反対運動が激しかった国の長良川河口堰(ぜき、三重県)の建設を担当する事務所長の経験を持つ。この時「計画前から住民と意見を共有することが大事」と気付き、流域委の運営に生かした。

退職後に流域委の委員となり、委員長に選ばれた。自分の後任の同局河川部長となった谷本光司さんと議論した。

争点のひとつは洪水対策として何を最優先するか。宮本さんは洪水で堤防が壊れるのを防ぐため堤防強化を最優先する考えだったが、同局は堤防強化と上流のダム建設を同時に進めるよう主張した。

宮本さんは委員を退任した今も「限られた予算で何を優先するのか議論したのに取り上げられなかった」と残念がる。同省を退職した谷本さんは「堤防強化は省内に共通した見解。ただし絶対安全な堤防はない」と話し、ダムを重視する姿勢を変えていない。


◆自治体連携へ道筋探る 淀川水系ダム論争(5) 軌跡
〔日本経済新聞2014/9/13 )  
http://www.nikkei.com/article/DGXLASJB02H46_T00C14A9960E00/

近畿地方整備局は2009年、淀川水系の治水、環境保全などの方向性を示す河川整備計画を発表した。

5ダムのうち余野川は中止、丹生、天ケ瀬再開発、川上は継続とした。大戸川は凍結・事業継続と併記となった。天ケ瀬再開発を除いた抜本見直しを求めた淀川水系流域委員会の意見はあまり反映されてい

流域委は現在、同計画の進捗状況を点検している。発足当初は学識経験者と地域住民が議論していたが、別の部会に分かれた。傍聴者の意見表明は会合で認められない。

ダム建設は長い年月がかかる。計画地の用地買収が進むと地元への配慮などから事業を中止しにくい。1990年代からは公共事業への批判や環境保全などを背景に見直しの論点も複雑になっている。

河川法改正で環境への配慮や住民の意見の反映などは進んだ。日本を代表する河川であり、複数の府県や市町村を流れる淀川は、先進的な試みの舞台にふさわしい。流域委はその象徴だったが、残念ながら現状の運営は後退した。

第5代委員長で滋賀大学環境総合研究センターの中村正久特任教授(環境政策)は流域委の経験を生かし、新しい課題に取り組む。関西広域連合は8月、琵琶湖・淀川流域の自治体の連携を探る研究会を設け、中村さんらが兵庫県、滋賀県の条例の研究を始めた。
(この項おわり)

【2014/09/13 01:20】 | 新聞記事から
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