「ダム建設の時代は終わった」by米国内務省開拓局長官ウィリアム・ピアーズ
              嶋津 暉之

八ツ場ダム予定地の「川原湯温泉の共同浴場「王湯(おうゆ)」が6月30日に閉館になります。
私も先週水曜日に王湯に行って入湯してきました。

◆ 王湯会館あす終了 高台で来月再開
(読売新聞群馬版2014年06月29日) 
http://www.yomiuri.co.jp/local/gunma/news/20140628-OYTNT50377.html

 長野原町の八ッ場(やんば)ダムの建設に伴って水没する川原湯温泉の共同浴場「王湯会館」が今月末、営業を終了し、47年の歴史の幕を閉じる。新たな共同浴場が7月5日、約30メートル高台の代替地で開業するが、地元では、伝統の奇祭「湯かけ祭り」の会場として長く親しまれてきただけに、名残を惜しむ声が出ている。

 川原湯温泉は1193年(建久4年)に源頼朝が発見したと伝えられる由緒ある温泉で、現在の王湯会館は1967年に建てられた。男女の内風呂(各約5平方メートル)と露天風呂(各約12平方メートル)があり、今も毎月1500人前後が利用している。

 自宅に風呂がなかった時代、共同浴場は生活の一部だった。だが、ダムの関連工事が進む中、ほかに二つあった共同浴場は2011年10月と13年6月に相次いで営業を終え、共同浴場は王湯会館だけとなっていた。1日おきに湯につかりに来ている近くの金子みつさん(85)は「通い慣れた浴場がなくなるのは寂しい」と話した。

 八ッ場ダムは今年10月頃に本体工事が始まる予定で、王湯会館は水没前に取り壊される。新たな共同浴場は男女の内風呂と露天風呂を備えた2階建て和風建築で、延べ床面積は約335平方メートルと、約100平方メートル広くなる。名称も「湯かけ祭り」の会場もそのまま引き継がれる。

 川原湯温泉協会長の樋田省三さん(49)は「寂しさもあるが、温泉街のシンボルが生まれ変わり、川原湯温泉の新たな出発となる。川原湯らしさを少しずつ出していきたい」と話している。


◆ダムに沈む温泉地、最後のにぎわい 今秋にも八ツ場着工
(朝日新聞2014年6月28日19時57分)
http://digital.asahi.com/articles/ASG6W7DL4G6WUHNB01K.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASG6W7DL4G6WUHNB01K

 山あいの温泉施設が、最後のにぎわいをみせている。八ツ場(やんば)ダムができれば湖に沈む「川原湯温泉」(群馬県長野原町)の共同浴場「王湯(おうゆ)」。60年以上もダム問題に翻弄(ほんろう)された温泉街のシンボルだったが、30日で長い歴史の幕を閉じる。いったんは建設が白紙に戻されたダムは今秋にも本体が着工され、2019年度に完成する見通しだ。
 28日、雨の中で白い湯気を上げる「王湯」。品川や横浜、熊谷など、車のナンバーは様々だ。10人も入ればいっぱいの内湯を、入れ替わり人が埋めていた。

閉館を知って訪れた長野市の会社員片桐卓也さん(28)は「風情があって、いい湯でした。なくなるのはもったいない」。来訪は5年ぶり。「お風呂から見えた建物がいまは取り壊され、『なくなってしまうんだな』と寂しかったです」。名残惜しそうに、風景を写真に収めた。

 閉館が近づいて入湯者が増えた。今月は約2千人と、昨年のほぼ倍という。

 吾妻(あがつま)渓谷の底を縫うように走るJR吾妻線。川原湯温泉駅から1キロほどの上り坂に沿って温泉街はある。王湯は、源頼朝に発見されたとの言い伝えがあり、毎年1月の大寒の日、ふんどし姿の男たちが湯をかけ合う奇祭「湯かけ祭り」の舞台にもなってきた。

 昭和の最盛期、温泉街には20軒を超す旅館のほか、土産物屋、飲食店が急斜面にへばりつくようにひしめいていた。川原湯温泉組合の職員金子典子さん(57)は「旅館の明かりで照らされた通りは、浴衣姿のお客さんでいっぱい。それは華やかでした」と振り返る。

 ダムができれば温泉街は湖に沈む。すでにほとんどの建物は取り壊された。その中に、王湯の源泉から湯を引き、唯一、今も宿泊客を受け入れている「ふれあいの宿 ゆうあい」がある。

ダム計画が浮上したのは1952年。社長の久保田賢治さん(79)は「みんなでスクラムを組んで反対した。建設省の役人が来るとバケツを鳴らし、水をまいて追い返したよ」。

 公民館を兼ねた王湯では、反対集会が頻繁に開かれた。だが、国による切り崩しで「ひとり、ふたりと抜けていって」。隣同士や親子でも賛否が割れた。85年、町は生活再建と引き換えに計画を受け入れた。

 1軒、また1軒と旅館が消えていった。久保田さんも家族と話し合い、移転を決めた。それでも、「なるべく長く」と、現在地での営業を続けている。

 「少子化でこれ以上、水は必要ないでしょ」。数年前、東京から来た宿泊客にかけられた言葉が忘れられない。国は反対住民に、治水・利水のためダムが必要と受け入れを迫った。久保田さんは「下流のため、と苦しみながら決断したのに、都会の人は忘れてしまっている」と悔しそうだ。

 「ゆうあい」は高台の代替地に移転する予定だ。その地には、王湯を引き継ぐ鉄筋2階建ての「王湯会館」が完成し、7月5日の開館を待つ。2億円を超える整備費はダムの補償金と下流の都県の負担金だ。

 代替地で酒屋を営む篠原ひささん(84)は「開店休業状態だね」。生まれも育ちも温泉街。80年近く続いた店を閉め、移転した。「自分が生まれて、子どもを育てた店だもん。たまらなかった。でも移らないとしょうがないから」

 再開した旅館はまだ2軒、建設中は1軒で、町外に出た人も多い。「夕飯のおかずを譲り合った」近所づきあいはなくなった。「にぎやかだった頃を知ってるから、歯がゆいよ」(井上怜、土屋弘)

■「ダムに頼らない治水、程遠い」

 民主党政権時代、国土交通省は「できるだけダムに頼らない治水」を掲げ、2010年9月から全国83のダム計画で、改めて必要性の検証を始めた。現在、建設「継続」が過半数の44カ所、「中止」20カ所、「作業中」19カ所。ダム建設は、勢いを取り戻した。

 検証主体は地方整備局など国交省の出先が25カ所、水資源機構が5カ所、道府県が53カ所。継続は八ツ場や設楽(したら)(愛知県)など大規模ダムで多い。「作業中」でも霞ケ浦導水(茨城県)などで復活の議論が進む。

 公共事業に積極的な自公政権のもと、国交省内では「温暖化や異常気象により、大規模な利水・治水の対策が求められている。必要なダムは造る」との声が上がる。

四つのダムの検証で座長を務めた大熊孝・新潟大名誉教授(河川工学)は「委員には事業主体の意向を受けた人が多く、『ダムに頼らない治水』とは程遠い状況だ」と話す。(小林誠一)

     ◇

 〈八ツ場ダム〉 群馬県長野原町の吾妻川に計画される高さ116メートルのダム。総事業費約4600億円は国内のダム史上最大で、利根川水系の下流6都県などが建設費の6割を負担する。2009年に民主党政権が建設中止を表明したが、その後、再開に転換した。基本計画が4度変更され、19年度に完成する予定。国土交通省は今年秋にも本体着工する準備を進めている。

     ◇

■八ツ場ダム建設計画の歴史

1952年 国が長野原町長に調査着手通知。水没地区住民の大半が反対

 66年 町議会が全会一致で反対決議

 80年 県が町に生活再建案提示

 85年 町長と知事が生活再建の覚書締結

 86年 基本計画(完成2000年度、事業費2110億円)告示

 92年 川原湯の反対期成同盟が対策期成同盟に。町、県、建設省が建設の基本協定。
     水没5地区と建設省が用地補償調査協定

2001年 水没地区住民との補償基準調印。計画変更で10年度完成に

 04年 計画変更で事業費が約4600億円に

 05年 代替地分譲基準が調印。水没地区外への転居が進む

 08年 3度目の計画変更で15年度完成に

 09年 民主党に政権交代。前原誠司国土交通相が建設中止表明

 11年 民主党政権が再検証後に建設再開表明

 13年 4度目の基本計画変更で19年度完成に

 14年 水没予定地で最後の湯かけ祭り(1月)


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 28日、雨の中で白い湯気を上げる「王湯」。品川や横浜、熊谷など、車のナンバーは様々だ。10人も入ればいっぱいの内湯を、入れ替わり人が埋めていた。

閉館を知って訪れた長野市の会社員片桐卓也さん(28)は「風情があって、いい湯でした。なくなるのはもったいない」。来訪は5年ぶり。「お風呂から見えた建物がいまは取り壊され、『なくなってしまうんだな』と寂しかったです」。名残惜しそうに、風景を写真に収めた。

 閉館が近づいて入湯者が増えた。今月は約2千人と、昨年のほぼ倍という。

 吾妻(あがつま)渓谷の底を縫うように走るJR吾妻線。川原湯温泉駅から1キロほどの上り坂に沿って温泉街はある。王湯は、源頼朝に発見されたとの言い伝えがあり、毎年1月の大寒の日、ふんどし姿の男たちが湯をかけ合う奇祭「湯かけ祭り」の舞台にもなってきた。

 昭和の最盛期、温泉街には20軒を超す旅館のほか、土産物屋、飲食店が急斜面にへばりつくようにひしめいていた。川原湯温泉組合の職員金子典子さん(57)は「旅館の明かりで照らされた通りは、浴衣姿のお客さんでいっぱい。それは華やかでした」と振り返る。

 ダムができれば温泉街は湖に沈む。すでにほとんどの建物は取り壊された。その中に、王湯の源泉から湯を引き、唯一、今も宿泊客を受け入れている「ふれあいの宿 ゆうあい」がある。

ダム計画が浮上したのは1952年。社長の久保田賢治さん(79)は「みんなでスクラムを組んで反対した。建設省の役人が来るとバケツを鳴らし、水をまいて追い返したよ」。

 公民館を兼ねた王湯では、反対集会が頻繁に開かれた。だが、国による切り崩しで「ひとり、ふたりと抜けていって」。隣同士や親子でも賛否が割れた。85年、町は生活再建と引き換えに計画を受け入れた。

 1軒、また1軒と旅館が消えていった。久保田さんも家族と話し合い、移転を決めた。それでも、「なるべく長く」と、現在地での営業を続けている。

 「少子化でこれ以上、水は必要ないでしょ」。数年前、東京から来た宿泊客にかけられた言葉が忘れられない。国は反対住民に、治水・利水のためダムが必要と受け入れを迫った。久保田さんは「下流のため、と苦しみながら決断したのに、都会の人は忘れてしまっている」と悔しそうだ。

 「ゆうあい」は高台の代替地に移転する予定だ。その地には、王湯を引き継ぐ鉄筋2階建ての「王湯会館」が完成し、7月5日の開館を待つ。2億円を超える整備費はダムの補償金と下流の都県の負担金だ。

 代替地で酒屋を営む篠原ひささん(84)は「開店休業状態だね」。生まれも育ちも温泉街。80年近く続いた店を閉め、移転した。「自分が生まれて、子どもを育てた店だもん。たまらなかった。でも移らないとしょうがないから」

 再開した旅館はまだ2軒、建設中は1軒で、町外に出た人も多い。「夕飯のおかずを譲り合った」近所づきあいはなくなった。「にぎやかだった頃を知ってるから、歯がゆいよ」(井上怜、土屋弘)

■「ダムに頼らない治水、程遠い」

 民主党政権時代、国土交通省は「できるだけダムに頼らない治水」を掲げ、2010年9月から全国83のダム計画で、改めて必要性の検証を始めた。現在、建設「継続」が過半数の44カ所、「中止」20カ所、「作業中」19カ所。ダム建設は、勢いを取り戻した。

 検証主体は地方整備局など国交省の出先が25カ所、水資源機構が5カ所、道府県が53カ所。継続は八ツ場や設楽(したら)(愛知県)など大規模ダムで多い。「作業中」でも霞ケ浦導水(茨城県)などで復活の議論が進む。

 公共事業に積極的な自公政権のもと、国交省内では「温暖化や異常気象により、大規模な利水・治水の対策が求められている。必要なダムは造る」との声が上がる。

四つのダムの検証で座長を務めた大熊孝・新潟大名誉教授(河川工学)は「委員には事業主体の意向を受けた人が多く、『ダムに頼らない治水』とは程遠い状況だ」と話す。(小林誠一)

     ◇

 〈八ツ場ダム〉 群馬県長野原町の吾妻川に計画される高さ116メートルのダム。総事業費約4600億円は国内のダム史上最大で、利根川水系の下流6都県などが建設費の6割を負担する。2009年に民主党政権が建設中止を表明したが、その後、再開に転換した。基本計画が4度変更され、19年度に完成する予定。国土交通省は今年秋にも本体着工する準備を進めている。

     ◇

■八ツ場ダム建設計画の歴史

1952年 国が長野原町長に調査着手通知。水没地区住民の大半が反対

 66年 町議会が全会一致で反対決議

 80年 県が町に生活再建案提示

 85年 町長と知事が生活再建の覚書締結

 86年 基本計画(完成2000年度、事業費2110億円)告示

 92年 川原湯の反対期成同盟が対策期成同盟に。町、県、建設省が建設の基本協定。
     水没5地区と建設省が用地補償調査協定

2001年 水没地区住民との補償基準調印。計画変更で10年度完成に

 04年 計画変更で事業費が約4600億円に

 05年 代替地分譲基準が調印。水没地区外への転居が進む

 08年 3度目の計画変更で15年度完成に

 09年 民主党に政権交代。前原誠司国土交通相が建設中止表明

 11年 民主党政権が再検証後に建設再開表明

 13年 4度目の基本計画変更で19年度完成に

 14年 水没予定地で最後の湯かけ祭り(1月)

【2014/06/29 06:50】 | 新聞記事から
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