「ダム建設の時代は終わった」by米国内務省開拓局長官ウィリアム・ピアーズ
          嶋津 暉之

1972年に中止になった沼田ダムの話が少し出てきます。

◆創る「森林」 川場の恵み守った村民
(読売新聞群馬版 2013年9月27日 )
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/feature/maebashi1377703087618_02/news/20130927-OYT8T00063.htm

35年前「現ナマ」拒み開発阻止

人口4000人足らずの川場村を訪れる観光客数は年間約97万人。都会の人々を魅了する村の森林資源は、時に開発の危機に直面しながらも住民の手で守られ、活用されてきた。

◇先祖からの山「1ヘクタール2000万円」

木の温かみを感じる川場村中野地区の古民家。「このこたつで毎日、夜が明けるまで話し合った」。家主の農業宮田光雄さん(76)は、同地区にゴルフ場開発計画が持ち上がった35年ほど前を振り返った。

社会が豊かになり始めた当時、各地でゴルフ場開発がブームを迎えていた。同地区の共有林にも、北毛地域でゴルフ場開発実績のある業者が目を付けた。

「1ヘクタール2000万円で売ってほしい」。ボストンバッグに現金を詰めて住民宅を巡回する業者。養蚕と林業の衰退に悩んでいた集落は色めき立った。「本当は俺も金がほしかった」。宮田さんは振り返る。

それでも反対したのは、「先祖から預かった山や畑を売れば、最後は自分たちが出ていくことになる」と考えたからだ。開発反対派は、毎晩宮田さん宅に集まって対策を練った。

だが、当初10人近く集まった反対派は次々に業者に翻意される。気がつくと、こたつの前には宮田さんを含め3人しか座っていなかった。追いつめられた宮田さんらは一計を案じた。「我々3人で、計画用地全てを業者の言い値で住民から買い取ろう」

用地取得に必要な額は約20億円。無謀な案だったが、地区の会合で提案すると、住民は開発をあきらめた。「どうしても阻止したかった。腹をくくった我々の迫力にみんな押されたのかもしれない」。宮田さんは笑う。

宮田さんの開発阻止への決意には伏線があった。

1970年前後、隣の沼田市で計画中だった沼田ダムに注目が集まっていた。ダムが完成すれば、国内最大規模の人工湖ができる。レジャー施設建設の視察のため、開発業者が村内に乗り込んできた。
だが、72年にダム計画が撤回されると、業者は瞬く間に姿を消した。「企業の目的は金もうけだ。その怖さを学んだ。自分たちの村は自分たちで作らなければならない」。宮田さんは語る。

村内にはその後、ゴルフ場計画がいくつも持ち上がったが、一つも実施されなかった。計画が消えるのと時を同じくして、同村は東京都世田谷区との交流で活性化を図っていく。


◇老舗酒造 130年前沢求め山確保

「森を調べた時、(曽祖父にあたる)初代のすごさを知った」

シャンパンのような泡が立つ清酒「水芭蕉(みずばしょう)ピュア」の開発販売で知られる川場村門前の老舗酒造「永井酒造」。6代目社長の永井則吉さん(41)は、所有する山林約50ヘクタールの所在地を確認した時の衝撃を今も忘れない。

確認しようと思ったきっかけは、98年に村で行われた全国植樹祭。それまで「おやじがあの辺に残してくれた森」という程度の認識しかなかったが、「天皇陛下が出席される大イベントが、なぜ川場で開かれるのかと思い、山への興味がわいた」。

地元森林組合の協力を得ながら、車で山林に通うこと約30回。境界線などを確認して一つずつ色を塗り地図に落とし込むと、所有林は沢の両脇に集中していることが分かった。「すべて酒の仕込み水が取れる場所。酒の原料の8割を占める水をおさえようという初代の覚悟を一発で理解できた」

永井さんの曽祖父は、酒造りを始めるため約130年前に長野から川場村に移り住んだ。「良い水を求めて歩き、ここの水にほれ込んだのだと思う」と永井さんは推測する。

家業を支える水とその水の確保に必死に取り組んだ曽祖父。その歴史を発見した時、永井さんは川場の恵みに対する感謝の気持ちが自然に芽生えたという。以降、社員全員で滝に打たれて瞑想(めいそう)する滝行や林業を体験しては、自然への敬意を新たにしている。

永井さんが現在、同村と一緒に取り組むのが、地元食文化を紹介する毎秋恒例のイベント「KAWABA国際自然文化サミット」だ。川場の水や田園風景の魅力を外部に発信することで、住民にも村の貴重な財産に気づいてもらう狙いがある。

「日本一おいしい川場の恵みを次世代に引き継ぐのは、我々の義務だ」。永井さんはそう考えている。



☆★こちらもどうぞご覧下さい★☆

 ・「八ツ場あしたの会」ニュース
 ・「八ツ場ダムをストップさせる千葉の会」
 ・利根川流域市民委員会
 ・まさのあつこさんの政策エッセイ
 ・どうする、利根川? どうなる、利根川? どうする、私たち? Ⅱ


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だが、72年にダム計画が撤回されると、業者は瞬く間に姿を消した。「企業の目的は金もうけだ。その怖さを学んだ。自分たちの村は自分たちで作らなければならない」。宮田さんは語る。

村内にはその後、ゴルフ場計画がいくつも持ち上がったが、一つも実施されなかった。計画が消えるのと時を同じくして、同村は東京都世田谷区との交流で活性化を図っていく。


◇老舗酒造 130年前沢求め山確保

「森を調べた時、(曽祖父にあたる)初代のすごさを知った」

シャンパンのような泡が立つ清酒「水芭蕉(みずばしょう)ピュア」の開発販売で知られる川場村門前の老舗酒造「永井酒造」。6代目社長の永井則吉さん(41)は、所有する山林約50ヘクタールの所在地を確認した時の衝撃を今も忘れない。

確認しようと思ったきっかけは、98年に村で行われた全国植樹祭。それまで「おやじがあの辺に残してくれた森」という程度の認識しかなかったが、「天皇陛下が出席される大イベントが、なぜ川場で開かれるのかと思い、山への興味がわいた」。

地元森林組合の協力を得ながら、車で山林に通うこと約30回。境界線などを確認して一つずつ色を塗り地図に落とし込むと、所有林は沢の両脇に集中していることが分かった。「すべて酒の仕込み水が取れる場所。酒の原料の8割を占める水をおさえようという初代の覚悟を一発で理解できた」

永井さんの曽祖父は、酒造りを始めるため約130年前に長野から川場村に移り住んだ。「良い水を求めて歩き、ここの水にほれ込んだのだと思う」と永井さんは推測する。

家業を支える水とその水の確保に必死に取り組んだ曽祖父。その歴史を発見した時、永井さんは川場の恵みに対する感謝の気持ちが自然に芽生えたという。以降、社員全員で滝に打たれて瞑想(めいそう)する滝行や林業を体験しては、自然への敬意を新たにしている。

永井さんが現在、同村と一緒に取り組むのが、地元食文化を紹介する毎秋恒例のイベント「KAWABA国際自然文化サミット」だ。川場の水や田園風景の魅力を外部に発信することで、住民にも村の貴重な財産に気づいてもらう狙いがある。

「日本一おいしい川場の恵みを次世代に引き継ぐのは、我々の義務だ」。永井さんはそう考えている。



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【2013/10/02 02:07】 | 新聞記事から
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