嶋津 暉之
間もなく完成する鳥取県の直轄ダム「殿(との)ダム」の半世紀を振り返る記事です。殿ダムは総貯水容量1240万m3、洪水調節、水道、かんがい、発電の多目的ダムです。
しかし、今の時代に完成して、このダムはどのような意味を持つのでしょうか。
◆翻弄された半世紀 殿ダム完成式前に振り返る
(日本海新聞2011年11月27日)
http://www.nnn.co.jp/news/111127/20111127003.html
鳥取県内最大級のダム、殿ダム(鳥取市国府町殿)が1962年の予備調査から半世紀を経て整備され、27日に同町で完成式が開かれる。「ダムに費やした一生だった」。ダム建設事業でなくなった同町拾石(じっこく)集落の自治会長を務めていた米山富久さん(74)=同町分上1丁目=はダムに翻弄(ほんろう)された半世紀を振り返り、複雑な思いでこの日を迎える。
「やっと終わったという気持ち半分、本当にこれで良かったのかという思い半分」。それが正直な気持ちだ。
ダム建設が浮上したのは米山さんがまだ中学生のころ。当時は「絶対反対」のむしろ旗を立て集会に出たのが“闘い”の始まりだった。76年に予備調査の覚書を交わすまで国や県、町の担当者と協議会を開くことも拒否して追い返し、激しく抵抗した。
■村を二分
行政の働き掛けで移転に承諾する住民がいた一方、先祖代々受け継いだ土地を捨てることはできないという住民の思いは強く、ダム建設は村を二分した。「村人同士、顔を合わせても口をきかない時期があった。そのころが一番苦しかった」と語る。
移転場所と補償費用も問題になった。ダムによってなくなるのは拾石、殿の全集落と、神護、楠城の一部の計36軒。拾石は全18戸での集団移転を要望したが結局、広い土地が確保できず、国分寺と玉鉾に離散することになってしまう。
97年に補償基準協定に調印。と同時に日を追うごとに集落は寂れていった。「家が解体された時は何とも言えない思い。本当に故郷がなくなるのだ」。崩れていく家を見て涙が止まらなかった。
99年、拾石で住み慣れた家や集落に別れを告げる「おわかれの会」を開くことを思いついた。思い出の山や川、集落の歴史を語り合い、新しい生活再建の糧にしようとの思いからだった。拾石集落があった小高い丘には、2008年に建立した拾石集落跡地記念碑「絆の碑」がある。集落にあった石を石碑にし、今もダムから集落を見つめている。
(一部引用)
☆★こちらもどうぞご覧下さい★☆
・「八ツ場あしたの会」ニュース
・「八ツ場ダムをストップさせる千葉の会」
・まさのあつこさんの「ダム日記2」
間もなく完成する鳥取県の直轄ダム「殿(との)ダム」の半世紀を振り返る記事です。殿ダムは総貯水容量1240万m3、洪水調節、水道、かんがい、発電の多目的ダムです。
しかし、今の時代に完成して、このダムはどのような意味を持つのでしょうか。
◆翻弄された半世紀 殿ダム完成式前に振り返る
(日本海新聞2011年11月27日)
http://www.nnn.co.jp/news/111127/20111127003.html
鳥取県内最大級のダム、殿ダム(鳥取市国府町殿)が1962年の予備調査から半世紀を経て整備され、27日に同町で完成式が開かれる。「ダムに費やした一生だった」。ダム建設事業でなくなった同町拾石(じっこく)集落の自治会長を務めていた米山富久さん(74)=同町分上1丁目=はダムに翻弄(ほんろう)された半世紀を振り返り、複雑な思いでこの日を迎える。
「やっと終わったという気持ち半分、本当にこれで良かったのかという思い半分」。それが正直な気持ちだ。
ダム建設が浮上したのは米山さんがまだ中学生のころ。当時は「絶対反対」のむしろ旗を立て集会に出たのが“闘い”の始まりだった。76年に予備調査の覚書を交わすまで国や県、町の担当者と協議会を開くことも拒否して追い返し、激しく抵抗した。
■村を二分
行政の働き掛けで移転に承諾する住民がいた一方、先祖代々受け継いだ土地を捨てることはできないという住民の思いは強く、ダム建設は村を二分した。「村人同士、顔を合わせても口をきかない時期があった。そのころが一番苦しかった」と語る。
移転場所と補償費用も問題になった。ダムによってなくなるのは拾石、殿の全集落と、神護、楠城の一部の計36軒。拾石は全18戸での集団移転を要望したが結局、広い土地が確保できず、国分寺と玉鉾に離散することになってしまう。
97年に補償基準協定に調印。と同時に日を追うごとに集落は寂れていった。「家が解体された時は何とも言えない思い。本当に故郷がなくなるのだ」。崩れていく家を見て涙が止まらなかった。
99年、拾石で住み慣れた家や集落に別れを告げる「おわかれの会」を開くことを思いついた。思い出の山や川、集落の歴史を語り合い、新しい生活再建の糧にしようとの思いからだった。拾石集落があった小高い丘には、2008年に建立した拾石集落跡地記念碑「絆の碑」がある。集落にあった石を石碑にし、今もダムから集落を見つめている。
(一部引用)
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日本て変な国だな [ふっ/]政府と官僚、どっちが主導して日本って国を動かしてるのかって考えたら、どう考えても官僚主導っていうか勝手に動かしてくれてるだろ [?/]まだ政治家なら例えアホでも選挙で選ばれ...
2011/12/12(Mon) 22:48:52 | 時々時事爺
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