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「ダム建設の時代は終わった」by米国内務省開拓局長官ウィリアム・ピアーズ
「荒れる気候の時代に 命を守る水害対策を考える」

◆日時:2018年12月16日(日曜日)13:30~16:30
◆会場:全水道会館  4階大会議室 地図
 東京都文京区本郷1丁目4~1
 JR水道橋駅東口2分、都営地下鉄三田線水道橋駅A1出口1分
◆参加費(資料代):500円

*プログラム
 基調講演
 「水害多発時代の治水政策の提案~滋賀県流域治水条例の可能性と課題~」
    講師:嘉田由紀子氏
 報告
・「日本人の伝統的自然観から西日本豪雨災害を考察する」
    大熊孝氏
・「西日本豪雨で明らかになったダムの限界と危険性」 
    嶋津暉之氏
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主催:八ッ場あしたの会    
共催:利根川流域市民委員会、水源開発問題全国連絡会、
   八ッ場ダムを考える1都5県議会議員の会


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【2018/12/15 00:00】 | 未分類
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栃木県南水道問題全国集会&水源連全国集会

1124日(土)〜25日(日)

水源開発問題全国連絡会は、全国各地でダム問題に取り組む同士をむすぶネットワークです。

毎年全国集会を開き、学習と交流を深めています。

今年は、栃木県鹿沼市の南摩ダムの現地見学会が1124日(土)、栃木県南水道問題全国集会と水源連総会が25日(日)に開かれます。

詳細は水源開発問題全国連絡会のホームページをご覧ください。

http://suigenren.jp/news/2018/09/24/11081/

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【2018/10/17 07:00】 | 未分類
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  嶋津 暉之

徳山ダム問題について朝日新聞のもう一つの記事をお送りします。ダム観光の現状を取り上げた記事です。

◆史実にない城・つり橋、ダムマネーに沸いた村は今…
古沢孝樹、編集委員・伊藤智章
(朝日新聞2018年10月16日13時26分)

徳山ダム(岐阜県揖斐川町)で水没した旧徳山村を1987年に吸収合併した藤橋村。日本一の総貯水容量を誇るダムを利用し、観光立村をめざしたが……。

 徳山ダムの下流5キロ付近の山あいに、プラネタリウムを備えた藤橋城や西洋風のつり橋、古民家が点在する。

 水没した旧徳山村を吸収した藤橋村が20~30年前に造った観光施設群だ。ダムに伴う優遇措置や過疎債などで、史実にない城やつり橋にそれぞれ数億円をかけた。観光投資は全体で村の歳出(1990年代初頭で約22億円)に匹敵した。
 だが、80年代に年間6万人だった藤橋城の入場者は、いま1万人。つり橋の先のオートキャンプ場は閉鎖され、雑草が生い茂る。往時のにぎわいを知る職員は「ダムの完成が2008年と遅れ、連動した話題を作れなかった」と悔やむ。ダム完成が見えた00年代には小泉改革で地方交付税や補助金が減らされ、追加投資も難しかった。

 これに人口減少が追い打ちをかけた。藤橋村の人口はピークの1960年の約2200人から05年に約400人に減り、周辺5町村と合併して揖斐川町になった。最後の村議会議長だった高橋卓さん(87)によると、観光振興は雇用確保が狙いだったのに、施設の従業員すら地元で確保できなくなっていた。「地域が滅亡しかねず、合併しかなかった」と苦渋をにじませる。いまの藤橋地区の人口は約200人で、小中学校閉校に続き、15年に幼児園も休止。65歳以上の割合(高齢化率)は50%近くに達している。

 藤橋村の人口が最も多かった60年は、村内で国の横山ダム工事が始まったころ。反対運動もあったが、ダム景気で商店や飲食店が軒を連ね、「横山銀座」と呼ばれた。徳山ダム関連の揚水発電所のために集落が移転したのに、最後に建設中止となったこともあり、巨大事業に振り回された村だった。

合併先の町、観光投資は慎

 徳山ダムの湖は、諏訪湖に匹敵する13平方キロメートルの広さがある。近くの道の駅「星のふる里ふじはし」には民俗資料収蔵庫があり、国の重要有形民俗文化財の旧徳山村の民具約6千点を収めている。

 名阪近鉄旅行(名古屋市)の担当者は「観光地としての潜在能力がある」と認める。同社などの徳山ダムツアーは、ダム湖を周遊したり、ダム堤体を上ったりできて底堅い人気がある。

 ダム湖北の冠山峠では、国道417号工事が続く。トンネルなどが完成すれば、北陸との周遊観光も可能になる。揖斐川町の富田和弘町長は「やっとスタートライン。今後が正念場だ」と話す。

 だが町は新たな投資に慎重だ。ダム湖の周遊に使われているのは、水資源機構の連絡船。船室が狭く、定員90人の多くは吹きさらしになる。試行した水陸両用バスは好評だったが、購入に1億円、さらに維持費もかかるとして、導入予定はない。町議会ではダム湖で魚の養殖や放流事業をする案も出たが、環境保全や安全対策上難しいという。

 揖斐川町全体の人口も、05年の合併時から20%以上減っている。徳山ダム関連の固定資産税13億円は町の一般会計の1割を占める貴重な財源だが、年々減っていく。町人口の1%しかない藤橋地区に割ける力は限られている。(古沢孝樹、編集委員・伊藤智章)


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【2018/10/17 01:26】 | 未分類
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          嶋津 暉之

日本最大のダム「徳山ダム」が完成して10年経ちました。
徳山ダムで沈んだ旧徳山村の住民の現状を取り上げた朝日新聞の記事をお送りします。

◆ダム湖渡り通う故郷、山を売らなかった旧徳山村民の思い
保坂知晃 室田賢
(朝日新聞2018年10月16日11時05分https://digital.asahi.com/articles/photo/AS20181013001886.html

国内最大の総貯水容量6億6千万トンを誇る徳山ダム(岐阜県揖斐川町)の完成式が開かれてから、13日で10年が経った。一つの村を犠牲にし、3300億円の巨費を投じた公共事業はその意義を果たしているのか。徳山の今を訪ねた。

 鏡のような湖面を、小型ボートが水しぶきを上げて進んでいく。

 徳山ダムの湖底には、かつて466世帯約1500人が暮らした旧徳山村(1987年廃村)が沈んでいる。

 「この下に門入(かどにゅう)に続く道があったんですわ」と、今井三千穂(みちほ)さん(73)=岐阜県本巣市=は湖面を指さした。門入は村にあった八つの集落の一つで、今井さんのふるさとだ。
 ダムを管理する独立行政法人・水資源機構が運航するボートから船着き場にあるワゴン車に乗り換え、さらに山奥に。計40分ほどで携帯電話の電波が届かない山あいに一軒家が見えてきた。

 今井さんの家は、小ぶりな木造2階建て。2006年にダムの貯水が始まる直前に建てた。村を離れて就職した福井県庁を退職し、余生は先祖が残した山の世話をしたいと思ったからだ。月1~2回、1週間ほど寝泊まりし、樹木の手入れに汗を流す。

途切れたふるさとへの道

 9月中旬、旧徳山村民の今井三千穂(みちほ)さん(73)はふるさとの山に建てた家を訪れた。

 2週間前の台風21号による倒木で電線が切れ、停電していた。小型ガスボンベと、川から軒先に引いた水でコーヒーを入れた。サラサラと木の葉がこすれる音が響く。

 「ここに来ると心が休まる。この静けさ、なんとも言えん……」

 徳山ダムの周囲には、今井さんのほかにも旧村民が所有する山林がある。水につかる場所は補償対象になったが、水没しない山林は対象から外れたからだ。このため、ダムを管理する水資源機構は週2回、船と車で旧村民を送迎している。この日は今井さんのほか、4人が乗船した。

 今井さんは家の窓を開けて風を通し、弁当で腹を満たすと、山へ。樹木医でもある今井さんはブナやケヤキを数百本植え、その世話をしている。深く根を張り、山を守ってくれるからだ。「子や孫の世代に山を引き継いでいきたい」という。

 ダムの計画は、今井さんが小学生だった1957年に浮上した。87年に徳山村が地図から消え、実家が家と田畑を手放して岐阜県本巣市に移転したころは40歳を過ぎていた。「山は残るし、ダムに反対はしなかった。母は徳山より雪が少ない土地に移ってむしろ喜んでいました」

 そんな状況が変化したのは2001年。ダム周辺に貴重な猛禽(もうきん)類の生息が確認されたことや膨張するダム事業費の抑制が迫られていたことを背景に、水資源開発公団(現・水資源機構)は、水没後も旧村域の山々に行ける「付け替え道路」の建設を中止した。公団が村に建設を約束していた道だった。

 そして道路を造らない代わりに、岐阜県が旧村民らの山林約1万7千ヘクタールを総額249億円で買い取る公有地化事業を提案した。「先祖が飲まず食わずで働いて得た土地。私の代で手放せない」。今井さんにのめる話ではなかった。

 旧村民らは付け替え道路の建設を求めて裁判を起こしたが、敗訴。ダムは08年に完成した。

 それから10年。「陸の孤島」の山林を後世に引き継げるのか、わからない。長男は県外で働いていて、おいそれとは来られない。

 それでも、今井さんの思いは変わらない。

 ふるさとの家の近くには約30本のエドヒガンザクラがある。長寿で大木になるこのサクラには、植えた今井さんの思いが込められている。

 「でっかいサクラの木の下でね、孫やひ孫の世代までずっと、花見を楽しんでほしいんですよ」(保坂知晃)

消えゆく文化、なお残る問題

 「村には戻れないけど、子どものために、まともな家を残したい」。岐阜県本巣市の網代(あじろ)団地に住む旧村民の早川俊弘さん(66)はそう話す。自宅前の道路にひびが走り、家のブロック塀は傾いていた。

 網代団地は、ダム建設に伴って旧徳山村の全466世帯の約7割が集団移転した5地区の一つだ。2006年ごろに地盤沈下が問題となり、水資源機構によると85戸で沈下が確認され、84戸を補修した。しかし「まだ沈下は止まっていない」と納得していない人もいる。近隣の文殊団地でも移転後間もない1980年代に地盤沈下が発生し、全82戸のうち52戸が再移転などを余儀なくされた。

 早川さんは水資源機構に補償を求めて交渉しているが、補償の範囲に隔たりがあり、まとまっていない。機構の担当者は「引き続き理解を求めて話を続けていく」と話す。

 移転して30年余り。毎春ふるさとの山に入って山菜採りをする早川さんは「山を見るだけで心が落ち着く」という。それだけに地盤沈下への怒りは強い。「ダムには反対だった。ダムのせいで今も問題は続いている」

 旧村民が「村で最大の楽しみだった」と口をそろえるのが8月の盆踊りだ。「徳山踊り」と呼ばれ、帰省した村民も加わって輪になって踊った。移転当初は5地区で引き継がれていたが、4地区で姿を消した。

 揖斐川町の表山地区に移転した小西順二郎さん(72)は「『やかましい』と苦情を言われ、やりにくくなった」と話す。移転地区では高齢化が進み、往時の村を知る人は少しずつ減っている。「さみしい。年を重ねるとだんだんね。村に帰りたいよ」(室田賢)

     ◇

 〈徳山ダム〉 揖斐川上流に建設された、治水、利水、発電の多目的ダム。岩を積み重ねて造るロックフィルダムで、ダム本体は高さ161メートル、長さ427メートル。


徳山ダムの歴史

1957年 電源開発促進法に基づく調査区域に指定

  71年 用地補償の地元説明会が開かれる

  73年 徳山ダムを含む基本計画が閣議決定

  87年 徳山村が廃村となり、藤橋村に吸収

  89年 旧村民466世帯すべての移転契約が完了

2000年 ダム本体工事に着手

  05年 藤橋村など6町村が合併して揖斐川町に

  06年 ダム本体工事の完成を受けて貯水開始

  08年 ダムが満水、試験放流を経て運用開始




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【2018/10/17 01:16】 | 未分類
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長崎新聞が丁寧に八ッ場ダムの地元のルポルタージュを書いています。
八ッ場あしたの会のサイトに詳しく載っています。

◆「八ッ場ダム周辺を歩く」(長崎新聞のルポ)
八ッ場(やんば)あしたの会
https://yamba-net.org/44304/

八ツ場ダム周辺を歩く・1 集落取り壊され跡形なく
https://this.kiji.is/424008333595690081?c=174761113988793844 ルポ八ッ場ダム周辺を歩く 1面 八ツ場ダム周辺を歩く・2 変わるまち 思い交錯 https://this.kiji.is/424011423523587169?c=174761113988793844 
ルポ八ッ場ダム周辺を歩く 16面全体

 

【2018/10/16 01:27】 | 未分類
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   嶋津 暉之

国土交通省は国管理のダムの利水容量を抑制して洪水調節容量を増やす制度の創設に乗り出したという記事をお送りします。

利水容量を譲ってもらう代わりにダム管理費の一部を国が負担するという話です。

しかし、利水容量を転用するためにはダム建設負担金の一部も国が負担しなければならないのであって、かなりの予算が必要であり、そう簡単な話ではないと思います。

 

◆国交省  ダム洪水調節容量拡大 豪雨時放水 浸水被害防止へ

(毎日新聞20181012日 東京朝刊)

http://mainichi.jp/articles/20181012/ddm/041/010/026000c

 

https://cdn.mainichi.jp/vol1/2018/10/12/20181012k0000m040143000p/9.jpg?1

国土交通省が洪水調整のため創設する制度のイメージ


 今年7月の西日本豪雨の際、ダムから放水した雨水によって下流域に浸水被害が出たことを教訓に、国土交通省は国管理のダムの利水容量を抑制して洪水調節容量を増やす制度の創設に乗り出した。自治体などとの交渉で、利水容量を譲ってもらう代わりにダム管理費の一部を国が負担することを提案したい考えで来年度からの運用を目指す。【花牟礼紀仁】

 国交省によると、豪雨が見込まれる場合は、ダムに雨水が流入する量を予測。ダムから水があふれないよう、あらかじめ貯水位を下げ、洪水調節容量を空けている。その際、農業用水や生活用水などのために確保している利水容量の一部を下流に放水しているが、気象予報を受けて短時間で放流する必要が生じた場合は、下流での浸水被害を避けるため放流量は限定的になる。

 西日本豪雨でも、愛媛県・肱川水系のダムは事前に放流して空き容量を確保していたが、貯水の限界を超える雨水が流入。短時間に大量の水を放流しなければならなくなり、下流域に大規模な浸水被害が出た。

 治水・利水目的のダムは、建設時に都道府県の水道事業部門などが人口予想や工場の誘致計画などに基づき、利水の権利を確保している。権利者はダム管理費を支払っているが、都市開発が進まないなどの事情で実際には利用されていない容量もある。

 こうした使われていない利水容量を年単位で譲ってもらうことで、あらかじめ空き容量を確保することができる。これにより、洪水調節容量を拡大させ、浸水被害の防止につなげたい考えだ。

 国交省は新たな制度を、下流域の堤防整備など治水が完了するまでの暫定的措置と位置付けている。


 ■ことば

治水・利水ダム

 国土交通省は、洪水時に川の水量を調節する目的で設置された「治水ダム」と、治水や利水など複数の目的を持つ「多目的ダム」計558基を管轄している。今年7月の西日本豪雨では、このうち213基で洪水調節が行われた。このほか、水利組合が管理する農業用水ダムや電力会社が設置する発電用ダムなどを合わせると、全国に2600基以上のダムが存在する。

 



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【2018/10/16 01:09】 | 未分類
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【2018/10/12 11:24】 | 未分類
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         嶋津 暉之

西日本豪雨のダム放流問題を取り上げたレポート記事をお送りします。
「「新しい(山鳥坂)ダムが早くできていれば、大洲市内の被害は軽減できた」と話す」という談話が紹介されていますが、それは違うと思います。

山鳥坂ダムの建設予定地は緊急放流問題を起こした鹿野川ダムの直下の肱川に合流する支川の河辺川の最下流です。仮に山鳥坂ダムがあっても、鹿野川ダムの緊急放流による肱川氾濫の軽減に寄与するはずがなく、逆に山鳥坂ダムも緊急放流を行って氾濫を拡大した可能性があります。

今夏の肱川の氾濫の真因は、肱川では山鳥坂ダム等のダム事業を優先して河道整備を疎かにしてきたことにあります。

◆西日本豪雨の隠れた人災「ダム放流で大洪水襲来」の危険すぎる現場
(ダイヤモンド・オンライン2018.10.9)
https://diamond.jp/articles/-/181534

半世紀前の映画『黒部の太陽』(熊井啓監督 三船敏郎主演 1968年公開)のヒットで有名になった富山県の黒部峡谷にあるクロヨンダム(関西電力 黒部第四ダム)は、今も人気観光スポットだ。

 灌漑、発電、洪水調整……様々な名目で造られたダムは大切な観光資源でもある。しかし、高位置に膨大な量の水を貯めておくことは、基本的に大きなリスクが伴う。

 今年7月、ラオスで建設中のダムが決壊し、死者・行方不明者が百数十名出た。数千人が家を失い、避難生活を送っている。米国では1889年にペンシルバニア州のダムが決壊し2209人が死亡する大惨事があった。フランスでは1952年にダム決壊で421人が死亡している。日本では戦前の1940年、北海道の幌内ダムが決壊し60人が死亡するなど多くの事故があった。

 最近でも、東日本大震災では福島県の藤沼ダムが決壊し、膨大な水が流出、8人が死亡している。2年前の熊本地震でも西原村の大切畑ダムが損傷し、住民が肝を冷やしていた。

ダムを決壊から守る「放流」が
二次被害をもたらす被災地の皮肉
 豪雨の際、「ダムを決壊から守るために放流する」とよく聞く。この「ダムが決壊する」とは、どういうことを指すのか。満杯になれば重量に耐えられずに、ひびが入ったり割れたりして自壊するのだろうか。それでは危なくて仕方がない。

 7月7日の西日本豪雨で大被害のあった愛媛県大洲市の丸山幸宏危機管理課長は、「越水し、ダム自体が沈んでしまえば操作もできなくなるし、ダムを支えている土中の構造物も崩れてしまう可能性がある」と説明してくれた。

 国土交通省四国地方整備局の山鳥坂ダム工事事務所の柴田治信課長は、「僕らもうっかり決壊するという言葉を使ってしまうのですが、重さに耐えられずに割れたりするわけではありません。溢れてしまうことです」と話す。ラオスの事故では建設した韓国企業が、「決壊はしていない。溢れただけだ」と必死に弁明している。この事故で韓国プロジェクトの海外受注は激減したと言われる。

 いずれにせよ、豪雨時のダムの放流は「ダムの決壊を防ぐため」というのが名目だ。実は、先の西日本豪雨で、その放流により犠牲者が出たことをご存じだろうか。愛媛県では肱川の2つのダムの放流で、合計9人が放流直後に水死しているのだ。

西日本豪雨時の放流で9人が死亡
怒号が飛び交った住民説明会

同市にある肱川の野村ダム流域では5人が亡くなり、家屋倒壊などの被害を受けた。被害はダム放流の直後。「人災だ」との声が強まっていた。体育館は約700人で満席。冒頭、管家一夫市長のあいさつに続く黙とうの最中から、「人殺し」「謝れ」「パフォーマンスか」などの怒号が飛んだ。 

 説明者側は国土交通省、愛媛県、西予市。資料を配り、「規則通り操作した」「予想外の雨で……」と繰り返した。国交省の川西浩二・野村ダム管理所長は「記録的豪雨を予測できず、事前放流量を増やせなかった」などと釈明したが、「人命よりダムが大事なのか」などの声に遮られる。質疑では年配男性が「国民の生命財産を守るという憲法にあなた方は違反したのです」と指摘した。「人災なんだから100%補償すべきだ」と訴える女性には拍手が沸いた。

 終了近くに立ち上がった入江須美さん(51)は、「危険を知らせてくれれば夫は死なずに済みました」と訴えた。自宅で印刷業を営む夫義彦さん(59)は、流された愛車のスポーツカーから遺体が発見された。夫の遺影を抱いた須美さんは記者に囲まれ、「小さなダムなので早めに減らすべきだったのに。伝え方はどうだったのか。通常の6倍も流すと聞いていれば夫は早く逃げたはず。また説明会を開いてほしい」と訴えた。

 野村ダムの建設時に町長だった池田忠幸氏(91)は、「マニュアル通りの操作しかできないことが情けない。耕作面積も人口も減っているのに、灌漑のために満杯にしておく必要はなかった」と運用のまずさを指摘した。その昔、反対運動の中を苦労して建設にこぎつけたダムそのものが否定されることが、悔しくてならない様子だ。

 ダムの放流は午前6時20分だが、国が大量放流を市に知らせたのは6時8分。市は避難指示を5時20分に出していたが、市民は「いつものような放送で切迫感はなかった」と口を揃える。危険通知の遅れに管家一夫市長は、「混乱状況で早く知らせられなかった。お詫び申し上げる」と謝罪した。

 下流の鹿野川ダムの放流で4人の犠牲者を出した大洲市でも、9月18日、住民説明会が行われた。このダムのすぐ近くに旧肱川町役場、現在は市の支所がある。近くに住む向井富重さん(67)が語る。

「あっという間に水が上がり2人で逃げるのが精いっぱい。1階の天井近くまで水が来た。家の中は滅茶苦茶でした。後になって大工さんが、飼っていた5歳の猫のホコちゃんが死んでいたのを見つけたんです。苦しんだのか目を剥いていました。妻と泣きはらしました」

猫さえ逃げ遅れた大洪水の恐怖
緊急放流の責任は誰にあるのか?

 普通の浸水なら、猫であれば2階に逃げそうなもの。押し寄せた水は逃げる間もない速さだったのだろう。明らかにダム放流による被害だ。向井さんは「いつもダムを満杯にしていた。大雨になるのに早めに減らしてなかったのが間違い」と指摘した。

 今回の豪雨で大きな被害を出した岡山県では、1963年、水島コンビナートへの利水や発電目的で高梁川上流に新成羽川ダムを竣工した。国は「洪水対策にもなる」と建設反対派を抑え込んだ、しかし後に、豪雨の緊急放流で被害が出て住民が訴訟を起こした。裁判例は徳島県などでもある。

 村を沈めてまで全国に建設されたダムは、本当に安全なのか。筆者はこの春、岡山県の湯原温泉を楽しんだ。岡山市の名勝・後楽園の横も流れる旭川の上流に位置する。昔ながらの風情の温泉街だが、すぐ上にはダムがあった。複雑な形の人造湖の水は、豊富で観光にも適している。しかし、もしあのダムが決壊したらどうなるのか。それこそ温泉街は全滅し、多くの死者が出るだろう。

 今回の西日本豪雨では、広島県呉市でも、上流の野呂川ダムの決壊を恐れて「流入量以上の放流をしない」との規則に反して通常の3.6倍の大量放流が行われたため、下流の平福で甚大な浸水被害が起きたとされ、県が調査をしている。

 鹿野川ダム近く、肱川の支流の河辺川で計画された山鳥坂ダムは、民主党が政権を取って一時ストップした建設工事が、自公政権で再開されている。前述の柴田さんは「新しいダムが早くできていれば、大洲市内の被害は軽減できた」と話す。

 2001年、長野県の田中康夫知事が「脱ダム宣言」をして議論となった。民主党政権では群馬県の八ッ場ダム建設にストップがかかった。西日本豪雨をきっかけにダム否定論も散見するが、「ダムがなければもっと被害は大きかった」という専門家も多く、議論は分かれている。

 もっとも、ダムだけが怖いのではない。磯田道史氏の『天災から日本史を読み直す』によれば、1854年の伊賀上野地震では奈良県の古市村(現奈良市古市町)で、段々畑のように高位置に築造されていたため池が決壊し、家々が押し流されて67人が死亡する悲劇が起きている。磯田氏は「甲賀忍者の古文書調査で地震時のため池決壊の恐ろしさを知った」と著している。

 2004年の中越地震では、新潟県山古志村で名産の錦鯉の養殖池が崩壊し、大きな被害をもたらした。古くは1868年(明治元年)に愛知県の農業用の入鹿池が決壊し、941人が死亡した。1953年には京都府の農業用の旧大正池が決壊し、山津波で多数の死者を出した。

 ダム建設の反対においては環境問題が取り沙汰されることが多いが、今回、震度7の地震で惨事となった北海道の厚真町では、農業用の厚真ダムの放水路が土砂で埋まり、雨で「決壊する可能性」が出て警戒に当たったが無事だった。振り返って、高位置に大量の水を貯めておくことの危険を改めて再認識すべきだろう。
(ジャーナリスト 粟野仁雄)


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【2018/10/12 00:28】 | 未分類
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11/24(土)南摩ダム建設現場・取水予定地見学
 13:00  JR宇都宮駅
11/25(日)水源連2018年度総会 栃木県南地域 水道問題全国集会
 13:15 記念講演 
     ・太田正先生
     「新規水源開発事業の不合理性を検証する」
     ・嶋津 暉之氏
     「鬼怒川水害と西日本豪雨災害」
 14:40 現地報告「高くてマズい水はごめんだ」
     ・大木一俊弁護士
     ・早乙女正次氏
 16:00 閉会
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【2018/10/11 00:27】 | 未分類
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〈転送・転載歓迎〉
オルタナティブな日本を目指して
「日本のダムと河川行政:この旧態依然をどうする?」

◆日時:10月11日(木)18時~21時(開場17時30分) 
◆会場:スペースたんぽぽ アクセス
◆講師:嶋津暉之さん
◆参加費(資料代含む):800円(学生400円)
◆主催:タンポポ舎

ダムやスーパー堤防などの建設を柱とする日本の河川行政が旧態依然のまま続いています。
「コンクリートから人へ」を掲げた民主党政権が出来た時には、
これで日本の河川行政も変わるかと思いましたが、その後、ものの見事に裏切られ、
最大最悪の「ムダなダム」と言われた八ッ場ダムが公約に反して建設されつつあります。

 更に、自民党・安倍政権に戻ってからの国土強靭化政策では、河川行政の実態は
以前よりもよりひどくなったかの観があります。例えば長崎県川棚町の川原地区では、
必要性がない石木ダム建設が地域住民の生活を踏みにじりながら強行されようとしておりますし、
また、こうしたダム建設の話は依然として全国各地で深刻な問題を引き起こしています。

こうした中、先般の西日本での集中豪雨はダムによる治水の限界を露呈させ、
再びダム見直しの機運を高めています。
今回はダム問題や河川行政に詳しい嶋津暉之さんにお話をしていただきます。


【2018/10/09 00:29】 | 未分類
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